長門美保(読み)ナガト ミホ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「長門美保」の解説

長門 美保
ナガト ミホ


職業
声楽家

専門
ソプラノ,舞台演出

肩書
長門美保歌劇団主宰

別名
筆名=横山 房美

生年月日
明治44年 6月23日

出生地
福岡県 北九州市若松区

学歴
東京音楽学校声楽科〔昭和8年〕卒

経歴
昭和11年デビューリサイタルを開き、のち藤原歌劇団に参加。戦後まもなく長門美保歌劇団をつくり、21年「蝶々夫人」を公演。海外公演も多く、チェコのドボルザーク賞、スメタナ賞、ポーランドの芸術最高金賞など受賞。著書に「声楽家になるには・私の履歴書」、歌劇「蝶々夫人」(全訳)がある。

所属団体
芸術家会議(副会長),アーティストサロン(代表),オペラ団体協議会(副会長),パリ芸術家協会,日本演奏連盟(評議員)

受賞
紫綬褒章〔昭和49年〕,勲四等宝冠章〔昭和57年〕 スメタナ賞(チェコ)〔昭和48年〕,ヤナーチェック賞,文部大臣賞,カーン芸術賞(フランス)〔昭和51年〕,ポーランド芸術最高金賞 音コン声楽部門第1位〔昭和9年〕

没年月日
平成6年 11月11日 (1994年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「長門美保」の解説

長門 美保
ナガト ミホ

昭和・平成期の声楽家(ソプラノ) 長門美保歌劇団主宰。



生年
明治44(1911)年6月23日

没年
平成6(1994)年11月11日

出生地
福岡県北九州市若松区

別名
筆名=横山 房美

学歴〔年〕
東京音楽学校声楽科〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
音コン声楽部門第1位〔昭和9年〕,スメタナ賞(チェコ)〔昭和48年〕,紫綬褒章〔昭和49年〕,ヤナーチェック賞,文部大臣賞,カーン芸術賞(フランス)〔昭和51年〕,ポーランド芸術最高金賞,勲四等宝冠章〔昭和57年〕

経歴
昭和11年デビューリサイタルを開き、のち藤原歌劇団に参加。戦後まもなく長門美保歌劇団をつくり、21年「蝶々夫人」を公演。海外公演も多く、チェコのドボルザーク賞、スメタナ賞、ポーランドの芸術最高金賞など受賞。著書に「声楽家になるには・私の履歴書」、歌劇「蝶々夫人」(全訳)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長門美保」の意味・わかりやすい解説

長門美保
ながとみほ
(1911―1994)

ソプラノ歌手。福岡生まれ。幼時をドイツで過ごす。東京音楽学校在学中にマーラー交響曲第二番のソリストとなる。1933年(昭和8)同校卒業後、第3回日本音楽コンクールで第一位となり、ドラマチック・ソプラノとして藤原歌劇団の『ローエングリン』『フィデリオ』などにフリーで主演。第二次世界大戦後、夫の鈴木雄詞と長門美保歌劇団を結成、46年11月『蝶々(ちょうちょう)夫人』で旗あげ公演を行った。訳詩・演出も手がけ、東欧圏のオペラや、『ミカド』をはじめとする大衆に親しみやすいオペレッタの紹介、後進の育成にも努めている。

[寺崎裕則]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長門美保」の解説

長門美保 ながと-みほ

1911-1994 昭和-平成時代のソプラノ歌手。
明治44年6月23日生まれ。昭和9年日本音楽コンクールで1位。20年長門美保歌劇団を結成し,「ミカド」「魔弾の射手」などを日本で初演。東欧のオペラを日本に紹介した功績でスメタナ賞,ポーランド芸術最高金賞。平成6年11月11日死去。83歳。福岡県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は鈴木美保。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長門美保」の解説

長門 美保 (ながと みほ)

生年月日:1911年6月23日
昭和時代;平成時代の声楽家
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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