長門鋳銭所跡(読み)ながとちゆうせんしよあと

日本歴史地名大系 「長門鋳銭所跡」の解説

長門鋳銭所跡
ながとちゆうせんしよあと

[現在地名]下関市大字豊浦村 下安養寺

長府の西の町はずれの鋳銭坊いさんぼとよばれる小高い丘に古代貨幣鋳造所があった。現覚苑かくおん寺の境内とその隣接地にあたる。

鋳銭所は近江河内山城・武蔵などにも設置されたが、長門鋳銭所は「続日本紀」天平二年(七三〇)三月一三日条に「周防国熊毛郡牛嶋西汀、吉敷郡達理山ヨリ銅、試ルニ 冶練、並タリスニ、便当国採冶、以長門鋳銭」とあり、これより以前に設置されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「長門鋳銭所跡」の解説

ながとのちゅうせんしょあと【長門鋳銭所跡】


山口県下関市長府安養寺にある貨幣製造所。鋳銭所とは、古代に各地に設けられた官営の貨幣の製造所である。長門鋳銭所は、覚苑寺(かくおんじ)境内とその周辺に位置し、史跡地内から、708年(和銅1)から鋳造が開始された和同開珎(わどうかいちん)1枚とその鋳型、鞴口(ふいごぐち)、坩堝(るつぼ)などが出土した。長門鋳銭所は、おそくとも奈良時代の730年(天平2)ごろには鋳造を開始していたと考えられている。和同開珎の鋳造は、長門国のほか、武蔵国(埼玉県)・近江国(滋賀県)・河内国(大阪府)・播磨国(兵庫県)・大宰府(福岡県)の6ヵ所で行われたが、遺跡が確認されたのは長門鋳銭所だけであり、1929年(昭和4)に国の史跡に指定された。長門鋳銭所は、825年(天長2)ごろに廃止され、周防鋳銭司(国指定史跡)に移された。出土品は長門国鋳銭遺物として国の重要文化財に指定されている。JR山陽本線長府駅からサンデン交通バス「城下町長府」下車、徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長門鋳銭所跡」の意味・わかりやすい解説

長門鋳銭所跡
ながとちゅうせんしょあと

山口県下関(しものせき)市長府(ちょうふ)町安養寺の覚苑寺(かくえんじ)境内とその隣接地にあり、和同開珎(わどうかいちん)の鋳造で知られる奈良・平安時代の官営鋳銭所の遺跡。和銅年間(708~715)に開設され、一時廃止されたが818年(弘仁9)復活し、826年(天長3)9月周防(すおう)の鋳銭司(すぜんじ)(山口市)に移るまで鋳造された。寛永(かんえい)年間(1624~44)に和同開珎とその銭范(せんぱん)(銭貨の鋳型)が掘り出され、1929年(昭和4)国の史跡に指定された。第二次世界大戦後発掘の結果、坩堝(るつぼ)や鞴口(ふいごぐち)が出土し、和同開珎や銭范とともに64年(昭和39)国の重要文化財に指定された。しかし整然とした鋳銭司遺構はみつかっておらず、工房跡も「いさんぼう」とよばれる狭い段丘上に立地し、寺院や民家が建ち保存状態が悪い。

[小野忠凞]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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