改訂新版 世界大百科事典 「開拓使官有物払下事件」の意味・わかりやすい解説
開拓使官有物払下事件 (かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)
開拓使廃止の時期が迫った1881年に,開拓使の官営事業を官吏や政商に払い下げようとして世論のはげしい攻撃をうけ,払下げを中止した事件。藩閥政府攻撃が強まったため,明治14年の政変をひきおこした。開拓長官黒田清隆は,開拓使官吏の結成する北海社と,関西の政商で鹿児島出身の五代友厚らがつくった関西貿易商会とに開拓使官営諸事業を払い下げ,継承させようとし,8月1日政府は黒田の要求を認めた。払下物件は,当時建設中だった幌内炭坑や鉄道を除くほとんどの官船,倉庫,工場,鉱山などをふくみ,38万7000余円,無利息30年賦という破格の条件だったことから,薩摩閥の官僚・政商が結託して官物を私するものとして,はげしい憤激を呼んだ。自由民権派だけでなく,政府派の新聞や論客まで反対の立場を表明し,政府は苦境に立った。北海道でも函館の豪商はこの払下げに対抗して開拓使の官船・倉庫の払下げを出願し,函館区民の請願・建白運動がおこった。払下反対運動のかげに国会早期開設を唱える筆頭参議大隈重信と岩崎弥太郎(三菱),福沢諭吉の共謀援助があるという説が流布され信ぜられた。政府は10月12日払下げの中止とともに国会開設の詔勅を発し,あわせて大隈重信とその系統の官僚を免職にした。これを明治14年の政変という。
執筆者:永井 秀夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報