(宮本又郎)
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実業家、政商。薩摩(さつま)藩士で儒者兼町奉行(まちぶぎょう)の五代直左衛門秀堯(ひでたか)の次男として生まれる。幼名を徳助、才助といい、松蔭と号す。長崎で航海、砲術、測量などの技術を習得、薩英戦争(1863)に参加し捕虜となるが脱出した。1865年(慶応1)藩命により留学生を引率しヨーロッパを視察、武器、船舶、紡績機械などの輸入を行い、薩摩藩の産業振興に大きく寄与した。維新後、官界に入るが、1869年(明治2)会計官権判事を最後に退官した。その後実業界に転じ、大阪を本拠として活躍。金銀分析所の設立によって巨富を得、1873年弘成館(買収鉱山の統括機関)、1876年朝陽館(製藍工場)を設立するなど、大阪の産業の近代化に貢献。また大阪商法会議所、大阪株式取引所、大阪堂島米商会所、商業講習所(大阪市立大学の前身)の設立、指導に尽力し、大阪財界の組織化にも貢献した。1881年開拓使官有物払下げ事件の中心人物として非難されたが、大阪の経済的発展、近代産業の開拓・移植などに果たした指導的役割は高く評価されている。なお、大久保利通(おおくぼとしみち)とは富国強兵・殖産興業などの点で意気投合し、征韓論争後大久保暗殺までの時期、関係は緊密であり、外交・財政問題について大久保の「智恵袋」として活躍した。
[石川健次郎]
『宮本又次著『五代友厚伝』(1981・有斐閣)』
明治期の政商。薩摩藩出身。幼名は徳助または才助,のちに友厚と改名。青年期に長崎の幕営海軍伝習所に留学,1859年(安政6)上海に密航して世界情勢を知り,富国強兵論を説く。65年(慶応1)藩命によりヨーロッパを視察。維新の動乱には,通商や武器の売込みなどで活躍し,新政府成立後,任官。外交官の役職を歴任後,大阪府判事まで昇進。69年(明治2)に同職を辞任後,関西財界で活躍,鉱山経営,製藍事業,大阪株式取引所,大阪商法会議所の設立や運営など,大阪の発展に貢献した。開拓使官有物払下事件にかかわるなど,政府の実権者大久保利通と結合し,政財界に勢力をのばすという点で典型的な政商の一人であった。
執筆者:石塚 裕道
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1835.12.26~85.9.25
明治期の実業家。大阪財界の指導者。薩摩国生れ。1854年(安政元)鹿児島藩郡方書役(かきやく)となり,長崎に遊学,上海・欧州に渡航した。明治維新後,外国事務局判事・大阪府権判事・会計官権判事などを歴任。69年(明治2)官を辞して金銀分析所を開設,73年には弘成(こうせい)館を創設して,半田銀山・天和銅山・蓬谷(よもぎだに)銀山・栃尾銅山などを経営した。76年政府から融資をうけて朝陽館を創立し製藍業を開始。堂島米商会所・大阪株式取引所の設立に尽力し,78年大阪商法会議所の初代会頭に就任した。81年関西貿易社を設立したが,開拓使官有物払下げ事件をおこして同年解散。東京馬車鉄道・阪堺(はんかい)鉄道・神戸桟橋の設立にも尽力した。
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…しかし,開国以来のインド藍の大量輸入や国内の染織業界の機械による工場生産への切替えは,しだいに阿波藍をはじめ国内藍の基盤をゆさぶった。これに対処して五代友厚の朝陽館による製藍法の改良事業などが興り,徳島でも五代友厚が1874年名東郡下に工場を設置し,精藍事業に着手した。さらに99年には長井長義の指導のもとに精藍伝習所が設置され,いわゆる長井製藍が始まった。…
…藩閥政府攻撃が強まったため,明治14年の政変をひきおこした。開拓長官黒田清隆は,開拓使官吏の結成する北海社と,関西の政商で鹿児島出身の五代友厚らがつくった関西貿易商会とに開拓使官営諸事業を払い下げ,継承させようとし,8月1日政府は黒田の要求を認めた。払下物件は,当時建設中だった幌内炭坑や鉄道を除くほとんどの官船,倉庫,工場,鉱山などをふくみ,38万7000余円,無利息30年賦という破格の条件だったことから,薩摩閥の官僚・政商が結託して官物を私するものとして,はげしい憤激を呼んだ。…
…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…
※「五代友厚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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