関三十郎(読み)せきさんじゅうろう

改訂新版 世界大百科事典 「関三十郎」の意味・わかりやすい解説

関三十郎 (せきさんじゅうろう)

歌舞伎俳優。6世まである。屋号尾張屋。(1)初世(1747-1808・延享4-文化5) 前名嵐七三郎,荻野吉三郎,嵐山十郎,嵐三十郎。後名関三右衛門。京の出身。初世嵐小六の門から,のち初世雛助の門下となる。1771年(明和8)京都の南側芝居の座本をもつとめた。和実,武道事を得意とし,老けと実悪を兼ねた。(2)2世(1786-1839・天明6-天保10) 前名は,2世嵐吉三郎の門で嵐宗太郎,3世中村歌右衛門の門下となり中村歌助,のち初世三十郎の養子(一説実子とも)となり,関歌助を経て三十郎を襲名。1808年(文化5)江戸へ下り,17年には上上吉に進み大立物となる。和実を本領とし,名人関三と称された。当り役は《菅原》の源蔵,《忠臣蔵》の平右衛門など。(3)3世(1805-70・文化2-明治3) 藤間勘兵衛の子。前名市川団吉,市川伊達十郎,5世市川八百蔵。7世団十郎の門下。1840年(天保11)三十郎を襲名。5世幸四郎の容貌に似て鼻が高く,実悪を得意としたため鼻の三十郎と称された。(4)4世(1838-89・天保9-明治22) 前名関花助,6世市川八百蔵。3世三十郎の養子。1873年三十郎を襲名。(5)5世(1879-1931・明治12-昭和6) 4世の子。前名5世関花助。1907年3月三十郎を襲名。浅草座,蓬萊座の座主,座頭をつとめた。(6)6世(1911-68・明治44-昭和43) 前名6世関花助。5世の甥で,養子となる。1941年三十郎を襲名。関三十郎劇団を組織して地方巡業をしていたが,のちに廃業した。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「関三十郎」の解説

関 三十郎(4代目)
セキ サンジュウロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
関 喜兵衛

別名
前名=市川 八百蔵(6代目)(イチカワ ヤオゾウ)

屋号
尾張屋

生年月日
天保9年

経歴
3代目関三十郎の養子。関花助と名乗り嘉永4(1851)年江戸中村座で若衆方として好評を博す。文久3(1863)年村山座で6代目市川八百蔵を襲名し明治6年には4代目関三十郎を襲名する。時代物の世話物に適し、実悪を得意とした。

没年月日
明治22年 7月10日 (1889年)

親族
養父=市川 八百蔵(5代目)


関 三十郎(5代目)
セキ サンジュウロウ


職業
歌舞伎俳優

本名
関 富成

生年月日
明治12年 7月2日

出身地
東京府 本郷区本郷春木町(東京都 文京区)

経歴
初め関花助と名乗り明治18年東京市村座で初舞台。40年明治座で5代目関三十郎を襲名し名題に昇進。42年東京国華座を買収して蓬莱座と改め座主と座頭を兼ねたが、座が振るわず旅芝居などにつとめた。芸風は時代物に適した。

没年月日
昭和6年 2月25日 (1931年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「関三十郎」の解説

関三十郎(2代)

没年:天保10.9.28(1839.11.3)
生年:天明6(1786)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名歌山。屋号播磨屋,尾張屋。初代の実子とも養子ともいう。2代目嵐吉三郎の門下で,嵐宗太郎の名で大坂の子供芝居に出勤。享和1(1801)年に3代目中村歌右衛門の門に入り,中村歌助と改名した。その後初代関三十郎の養子となって2代目を襲名,文化4(1807)年京都北側の大芝居へ初めて出勤。同5年以降三都を行き来したが,天保中ごろから病気がちで,同10年2月中村座の舞台が最後となった。小柄ながら姿がよく,地芸,所作にすぐれ,和実を得意とした。堅い芸風で贔屓も多く「名人関三」と称された。

(加藤敦子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関三十郎」の解説

関三十郎(3代) せき-さんじゅうろう

1805-1871* 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化2年生まれ。3代藤間勘兵衛の子。7代市川団十郎の門下。天保(てんぽう)11年江戸市村座で3代三十郎を襲名。実悪を得意とし,5代松本幸四郎ににて「鼻の三十郎」とよばれた。明治3年12月18日死去。66歳。江戸出身。前名は市川八百蔵(5代)。俳名は中車,歌山。屋号は尾張屋。

関三十郎(5代) せき-さんじゅうろう

1879-1931 明治-大正時代の歌舞伎役者。
明治12年7月2日生まれ。4代関三十郎の子。明治15年市村座で初舞台をふみ,40年明治座で5代三十郎を襲名。浅草座,蓬莱座(ほうらいざ)の座主,座頭(ざがしら)をつとめた。実事を得意とした。昭和6年2月25日死去。53歳。東京出身。本名は関富成。前名は関花助。俳名は歌山。屋号は尾張屋。

関三十郎(初代) せき-さんじゅうろう

1747-1808 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
延享4年生まれ。上方(かみがた)の役者。初代嵐小六,のち初代嵐雛助の門下。明和8年京都南側芝居の座本をつとめ,天明7年(1787)関三十郎を名のる。和実,武道事を得意とした。文化5年6月10日死去。62歳。前名は嵐三十郎(4代)。後名は関三右衛門。俳名は三蝶,小太。屋号は尾張屋。

関三十郎(6代) せき-さんじゅうろう

1911-1968 昭和時代の歌舞伎役者。
明治44年3月31日生まれ。5代関三十郎の甥(おい),のち養子。昭和3年初舞台。青年歌舞伎や2代市川左団次の劇団などに参加。16年歌舞伎座で6代を襲名。戦後は関三十郎劇団を組織して地方を巡業した。昭和43年11月22日死去。57歳。東京出身。本名は杉浦五郎。前名は関花助。屋号は尾張屋。

関三十郎(2代) せき-さんじゅうろう

1786-1839 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明6年生まれ。2代嵐吉三郎,3代中村歌右衛門の門下をへて初代三十郎の養子となり文化4年大坂で2代を襲名。和実を本領とし,当たり役は曾我(そが)の鬼王。天保(てんぽう)10年9月28日死去。54歳。大坂出身。前名は中村歌助,関歌助。俳名は歌山。屋号は尾張屋。

関三十郎(4代) せき-さんじゅうろう

1835-1889 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)6年生まれ。3代三十郎の養子となり,明治6年4代を襲名。実悪を得意とした。明治22年7月10日死去。55歳。本名は関喜兵衛。前名は市川八百蔵(6代)。俳名は中車,歌山。屋号は尾張屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「関三十郎」の解説

関 三十郎(5代目) (せき さんじゅうろう)

生年月日:1879年7月2日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の関三十郎の言及

【藤娘】より

…五変化所作事《歌へす歌へす余波大津絵(かえすがえすおなごりおおつえ)》の一曲。2世関三十郎により,1826年(文政9)9月江戸中村座初演。作詞勝井源八。…

※「関三十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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