市川八百蔵 (いちかわやおぞう)
歌舞伎俳優。団十郎門下で団蔵と並ぶ歴史ある家系。(1)初世(1730-59・享保15-宝暦9) 前名松島吉三郎,松島八百蔵。1749年(寛延2)2世団十郎の門下となり改姓。(2)2世(1735-77・享保20-安永6) 豊竹和泉太夫を名のり義太夫を語っていたが,2世中村伝九郎に入門,中村伝蔵と名のる。1763年(宝暦13)4世団十郎の門下となり八百蔵を襲名。(3)3世 2世助高屋高助の前名。(4)4世(1772-1844・安永1-弘化1) 初世藤間勘十郎の弟。初名岩井かほる,4世岩井喜代太郎。1804年(文化1)八百蔵を襲名。(5)5世 3世関三十郎の前名。(6)6世 4世関三十郎の前名。(7)7世 7世市川中車の前名。(8)8世 8世市川中車の前名。(9)9世(1906-87・明治39-昭和62) 前名松本錦一,松本高麗五郎。2世市川猿之助一座の脇役として活躍。1953年東京歌舞伎座で八百蔵を襲名した。
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
市川 八百蔵(9代目)
イチカワ ヤオゾウ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 本名
- 松本 清一
- 別名
- 前名=松本 高麗五郎
- 屋号
- 立花屋
- 生年月日
- 明治39年 7月31日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 大正2年7代目松本幸四郎に入門し、松本錦一の名で初舞台。昭和4年名題に昇進して松本高麗五郎と改名。のち市川猿之助一座に移り、28年9代目八百蔵を襲名した。
- 受賞
- 勲五等双光旭日章〔昭和55年〕
- 没年月日
- 昭和62年 1月18日 (1987年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
市川 八百蔵(9代目)
イチカワ ヤオゾウ
大正・昭和期の歌舞伎俳優
- 生年
- 明治39(1906)年7月31日
- 没年
- 昭和62(1987)年1月18日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 松本 清一
- 別名
- 前名=松本 高麗五郎
- 屋号
- 立花屋
- 主な受賞名〔年〕
- 勲五等双光旭日章〔昭和55年〕
- 経歴
- 大正2年7代目松本幸四郎に入門し、松本錦一の名で初舞台。昭和4年名題に昇進して松本高麗五郎と改名。のち市川猿之助一座に移り、28年9代目八百蔵を襲名した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
市川八百蔵(初代)
没年:宝暦9.10.19(1759.12.8)
生年:享保15(1730)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名定花。屋号蓬莱屋。道外形松島茂平次の子。初め松島吉三郎の名で大坂の豊竹蛙井の操座に子役として出ていたが,寛保2(1742)年から子役として江戸中村座に出勤し「拍子事の名人」といわれて評判を取った。延享3(1746)年,2代目市川団十郎の門に入り松島八百蔵と改名,立役となる。このころには,団十郎の養子となっていずれ名跡を継ぐとの噂もあった。寛延2(1749)年,市川八百蔵と改姓。荒事を得意とし,特に曾我五郎の役は2代目団十郎をよく写した芸であったという。半面,色事や濡れ事の演技は不得手であった。2代目八百蔵の妻おるやは,彼の妹である。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期,『新刻役者綱目』(『日本庶民文化史料集成』6巻)
市川八百蔵(4代)
没年:弘化1.7.3(1844.8.16)
生年:安永1(1772)
江戸後期の歌舞伎役者。俳名中車。屋号立花屋。江戸の振付師初代藤間勘十郎の弟。天明2(1782)年4代目岩井半四郎門に入り,岩井かるもを名乗る。同7年,岩井喜代太郎と改名。若女形不足の折から若女形としての期待をかけられていたが,享和初年に立役に転じた。文化1(1804)年,先代の八百蔵が2代目助高屋高助と改名したため,4代目八百蔵を襲名した。立役となってからの評判は悪くなかったようだが,同5年ごろからは中芝居や名古屋への出勤が多かった。容姿にすぐれ華のある役者ぶりで,和事を得意とした。
市川八百蔵(6代)
没年:明治22.7.10(1889)
生年:天保9(1838)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名中車,歌山,黄雀。屋号尾張屋。5代目市川八百蔵(3代目関三十郎)の養子。初め関花助の名で,若衆形として江戸の舞台を勤める。文久3(1863)年正月,中村座で6代目市川八百蔵を襲名した。明治3(1870)年の養父の没後,旅芝居に出る。6年東京の村山座で4代目関三十郎と改名,18年には再び旅芝居に出た。実悪を得意とし,時代物,世話物のいずれもよくした。以後,八百蔵の名跡は昭和期の9代目まで続き,いずれも堅実な立役であった。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
市川八百蔵(9代) いちかわ-やおぞう
1906-1987 大正-昭和時代の歌舞伎役者。
明治39年7月31日生まれ。7代松本幸四郎に入門し,大正2年初舞台。昭和4年松本高麗五郎(こまごろう)を名のる。2代市川猿之助(えんのすけ)一座で活躍し,28年9代八百蔵を襲名。脇の立役(たちやく),老役(ふけやく)を得意とした。昭和62年1月18日死去。80歳。東京出身。本名は松本清一。初名は松本錦一。俳名は定花。屋号は立花屋。
市川八百蔵(初代) いちかわ-やおぞう
1730-1759 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)15年生まれ。道外方(どうけがた)松島茂平次の子。大坂から江戸にうつり,「子役の名人」といわれる。寛延2年2代市川団十郎に入門,市川八百蔵を名のり,立役(たちやく)となる。荒事(あらごと)を得意とした。宝暦9年10月19日死去。30歳。初名は松島吉三郎。前名は松島八百蔵。俳名は定花。屋号は蓬莱屋。
市川八百蔵(4代) いちかわ-やおぞう
1772-1844 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
安永元年生まれ。振付師の3代藤間勘兵衛の弟。天明2年4代岩井半四郎に入門し,若女方。文化元年4代八百蔵を襲名し,立役(たちやく)となる。和事(わごと)を得意とした。天保(てんぽう)15年7月3日死去。73歳。江戸出身。初名は岩井かるも。前名は岩井喜代太郎(2代)。俳名は中車。屋号は江戸屋,立花屋。
市川八百蔵(2代) いちかわ-やおぞう
1735-1777 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)20年生まれ。豊竹和泉太夫を名のる義太夫(ぎだゆう)語りから2代中村伝九郎の門人となる。初代八百蔵の妹と結婚。宝暦13年4代市川団十郎に入門し,2代八百蔵を襲名。のち立役(たちやく)の花形となる。安永6年7月3日死去。43歳。前名は中村伝蔵。俳名は中車。屋号は立花屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の市川八百蔵の言及
【関三十郎】より
…(3)3世(1805‐70∥文化2‐明治3) 藤間勘兵衛の子。前名市川団吉,市川伊達十郎,5世市川八百蔵。7世団十郎の門下。…
【関三十郎】より
…(3)3世(1805‐70∥文化2‐明治3) 藤間勘兵衛の子。前名市川団吉,市川伊達十郎,5世市川八百蔵。7世団十郎の門下。…
【市川中車】より
…家紋大割牡丹。中車の名は歴代の[市川八百蔵]の俳名であったが,7世八百蔵が晩年芸名とした。したがって俳優の名跡としては,7世,8世である。…
※「市川八百蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」