日本歴史地名大系 「関場村」の解説 関場村せきばむら 宮城県:柴田郡村田町関場村[現在地名]村田町関場沼田(ぬまた)村の東、荒(あら)川のつくる低平地を東に見下ろす丘陵の山裾に集落があり、東と南は沼辺(ぬまべ)村、北は小泉(こいずみ)村。江戸時代中期に荒川の氾濫原を開発し堀や堰も造られたが、とくに堰が多かったので堰場(せきば)と名付けられ、のちに関場と書くようになったと伝える。山沿いの地域には愛宕山(あたごやま)古墳をはじめとする古墳・遺跡も多く、開発は古かったと思われる。平泉の藤原秀衡が当地に建立したという霊感寺は、規模広大、大いに栄えたが文治の役でことごとく焼失したと伝える。 関場村せきばむら 福島県:西白河郡表郷村関場村[現在地名]表郷村八幡(やわた)社(やしろ)川と藤乃(ふじの)川の合流点左岸に位置し、南は金山(かねやま)村、東は中寺(なかでら)村、北は宮(みや)村、西は社仁井田(やしろにいだ)村。初めは会津領、寛永四年(一六二七)白河藩領、寛保元年(一七四一)越後高田藩領、文化三年(一八〇六)以降幕府領。白河古領村郷高帳では高五五一石余。文政八年(一八二五)の人数調(福島県史)では人数男四二・女四〇。天保郷帳には「宮村枝郷」と注記される。助郷は奥州道中白坂(しらさか)宿(現白河市)に出役。庄屋は関和家・佐藤家が勤めた(表郷村郷土史)。字社山(やしろやま)に社郷総鎮守として、天喜四年(一〇五六)八幡太郎源義家が勧請したと伝える社八幡神社がある。 関場村せきばむら 福島県:いわき市旧小川町地区関場村[現在地名]いわき市小川町関場(おがわまちせきば)曲流する夏井(なつい)川左岸にあり、南は下小川村、北は上平(うわだいら)村、対岸は三島(みしま)村。夏井川左岸を灌漑する小川江筋の取水地があるための村名。磐城郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)幕府領、寛延二年(一七四九)常陸笠間藩領、安永六年(一七七七)幕府領、翌七年磐城平藩預、寛政二年(一七九〇)以降笠間藩領。正保郷帳では上平村とともに小川中之村に含まれたと思われ、小川中之村は田方五六二石余・畑方二五〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by