日本大百科全書(ニッポニカ) 「関根弘」の意味・わかりやすい解説
関根弘
せきねひろし
(1920―1994)
詩人、評論家。東京都浅草森下町に生まれる。向島(むこうじま)区(現墨田(すみだ)区の北西部)第二寺島小学校卒。小学校時代から詩誌に詩を発表。メリヤス工場の住み込み店員をはじめ、木材通信社、日本農林新聞、軍事工業新聞など業界紙勤務を経る。勤務のかたわら、1943年(昭和18)から44年にかけて、ニコライ露語学院でロシア語を学ぶ。第二次世界大戦後の47年『綜合(そうごう)文化』を刊行。51年『列島』に創刊より参加、左翼的立場から戦後詩に新たな領域を切り開き、民衆出身の詩人・知識人として戦後詩のリーダー的存在となる。第一詩集『絵の宿題』(1953)は、童謡的手法の裏に寓意(ぐうい)を込めた戦後諷刺(ふうし)詩の一典型となっている。ロシアの革命詩人マヤコフスキーに傾倒し、枝葉を刈り込んだ表現には一貫して戦闘的なユーモアがある。1957年よりラジオの録音構成の仕事「日本のアウトサイダー」、「売春」「東京改造計画」(1959)、全学連に取材した「否定の集団」(1960)や愛する街、新宿のルポなどを手がける。詩集に『死んだ鼠(ねずみ)』(1957)、『約束したひと』(1963)、『関根弘詩集』(1968)、『阿部定(さだ)』(1971)、『新宿詩集』『泪(なみだ)橋』(1980)、『街』(1984)、『奇態な一歩』(1989)、評論集に『狼(おおかみ)が来た』(1955)、『水先案内人の眼(め)』(1959)、『現代詩入門』(1961)、『関根弘詩論集 自分の居場所の発見』(1964)、『余計者の抵抗の道』(1973)、『機械的散策』(1974)、評伝『花田清輝(きよてる)』(1987)、半自伝に『針の穴とラクダの夢』(1978)がある。
[陶原 葵]
『『絵の宿題』(1953・建民社)』▽『『列島詩集』(1955・知加書房)』▽『『水先案内人の眼』(1959・思潮社)』▽『『青春の文学――アヴァンギャルド詩論』(1959・三一書房)』▽『『現代詩入門』(1961・飯塚書店)』▽『『約束したひと』(1963・思潮社)』▽『『関根弘詩論集 自分の居場所の発見』(1964・思潮社)』▽『『現代詩文庫25 関根弘詩集』(1970・思潮社)』▽『『関根弘詩集 阿部定』(1971・土曜美術社)』▽『『余計者の抵抗の道』(1973・じゃこめてい出版)』▽『『評論集 機械的散策』(1974・土曜美術社)』▽『『半自伝 針の穴とラクダの夢』(1978・草思社)』▽『『新宿詩集』(1980・土曜美術社)』▽『『関根弘詩集 泪橋』(1980・思潮社)』▽『『関根弘詩集 街』(1984・土曜美術社)』▽『『花田清輝――二十世紀の孤独者』(1987・リブロポート)』▽『『関根弘詩集 奇態な一歩』(1989・土曜美術社)』▽『『日本現代詩文庫 関根宏詩集』(1990・土曜美術社)』▽『瀬木慎一著『アヴァンギャルド芸術――体験と批判』(1998・思潮社)』▽『池田龍雄著『芸術アヴァンギャルドの背中』(2001・沖積舎)』