防穀令事件(読み)ボウコクレイジケン

デジタル大辞泉 「防穀令事件」の意味・読み・例文・類語

ぼうこくれい‐じけん〔バウコクレイ‐〕【防穀令事件】

1889年(明治22)、朝鮮咸鏡道で凶作理由に出された穀類輸出禁止令に対し、日本貿易商大打撃を受けたとして、日本政府が賠償などを朝鮮に要求した事件。93年に朝鮮政府は賠償金を支払った。

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改訂新版 世界大百科事典 「防穀令事件」の意味・わかりやすい解説

防穀令事件 (ぼうこくれいじけん)

1889年に朝鮮で実施された穀物輸出禁止(防穀)令をめぐる日本・朝鮮間の対立事件。開港(1880)以来,元山では日本商人による大豆輸出が盛んであったが,咸鏡道観察使趙秉式(ちようへいしき)は同年10月,凶作による食糧難を理由に穀物の道外への搬出を禁止した。防穀令は伝統的な救荒政策の一つで,条約上も認められていたが,日本側が強硬に抗議したため紛糾し,朝鮮政府は同令を解除させたうえ趙を懲戒,更迭して解決を図った。しかし,商人たちは日本政府を動かし,91年12月朝鮮政府に対して14万円余の損害賠償の請求を行った。交渉は当初から難航し,商人らは対外硬に転じつつあった日本の民党に働きかけて活発な運動を展開した。議会での突きあげをうけた伊藤博文内閣自由党大石正巳公使に派遣,93年5月には外交断絶の最後通告を発して圧力をかける一方,裏面で清国の李鴻章斡旋を依頼し,紛争中の他の3件の分を含め総額11万余円の金額で妥結。伝統的な朝鮮の経済循環が開港によって破壊されつつあることを示す象徴的な事件である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「防穀令事件」の意味・わかりやすい解説

防穀令事件
ぼうこくれいじけん

1889年(明治22)に朝鮮で実施された穀物輸出禁止令をめぐる日本、朝鮮間の紛争事件。同年10月、咸鏡(かんきょう)道観察使の趙秉式(ちょうへいしき)は、凶作による食糧難を防ぐ目的で穀物の道外への搬出を禁じたが、大豆輸出で利益を得ていた元山港の日本商人らが強硬に反対したため、朝鮮政府は同令を撤回させたうえ、趙を更迭処分にした。しかし、91年12月になって、日本政府は14万円に上る損害賠償の支払い請求を行い、この事件は両国間の外交問題に発展する。交渉は当初から難航、日本側は93年5月、国交断絶の最後通告を発して圧力をかけ、朝鮮政府が他の事件の賠償を含め総額11万余円の支払いに応じることで決着をみた。

[吉野 誠]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「防穀令事件」の意味・わかりやすい解説

防穀令事件
ぼうこくれいじけん
Panggok-ryǒng sakǒn

朝鮮王朝 (李朝) の穀物輸出禁止をめぐる日朝対立事件 (1889~93) 。開国以来,日本人穀物商による米,大豆の買占めと,その年の不作により,朝鮮農村は食糧危機に陥った。咸鏡道観察使趙秉式は,高宗 20 (83) 年の日韓通商章程第 37款に基づき輸出禁止令を発布した。担当地方官の手落ちで予告期間が不足して紛糾し,日本商人は 14万 7000円の損害要求を出した。伊藤博文が清の李鴻章に斡旋を依頼し,これによって同 30年4月,11万円の賠償と大石公使の召還で妥結をみた。

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世界大百科事典(旧版)内の防穀令事件の言及

【大石正己】より

…87年大同団結運動の中心となって各地に遊説。92年には朝鮮駐劄(ちゆうさつ)弁理公使として防穀令事件の強圧的処理に従事した。進歩党の結成,松方・大隈内閣の成立などを画策し,98年憲政党による大隈内閣に農商務相として入閣。…

※「防穀令事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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