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大石正巳 おおいし

美術人名辞典の解説

大石正巳

政党政治家土佐の人。別名大典。自由民権運動に従事し、国会開設願望運動に奔走し、開設後代議士に選ばれること六回、憲政党内閣には農商務大臣となる。晩年政界を退いて禅に隠れ、次第に世と遠ざかった。昭和10年(1935)歿、81才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大石正巳 おおいし-まさみ

1855-1935 明治-大正時代の政治家。
安政2年4月11日生まれ。明治14年自由党結成時の幹事。20年後藤象二郎大同団結運動に参加。31年憲政党創立委員となり,第1次大隈(おおくま)内閣の農商務相。同年衆議院議員(当選6回,立憲同志会)。昭和10年7月12日死去。81歳。土佐(高知県)出身。

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大辞林 第三版の解説

おおいしまさみ【大石正巳】

1855~1935) 政治家。土佐の人。自由民権運動に活躍、憲政党結成に参画し第一次大隈内閣の農商務相となる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大石正巳
おおいしまさみ

[生]安政2(1855).4. 高知
[没]1935.7.12. 千葉
政治家。幕末には会津戦争に官軍の一兵士として参加。維新後は板垣退助の立志社に入り,自由民権運動に参加,国会開設運動に奔走。 1881年自由党設立には幹事として活躍したが,82年板垣の洋行に反対して脱党。その後,後藤象二郎とともに,藩閥政府に対抗する民党諸派の大同団結運動に尽力,96年進歩党結成に加わった。 98年自由,進歩両党が合同し憲政党を創設する際,創立委員となり,同年隈板内閣の農商務相に就任した。その後桂太郎の傘下に走り,立憲同志会創設に参画。この間衆議院議員に6回当選したが,60歳をもって政界を引退した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大石正巳
おおいしまさみ
(1855―1935)

明治~大正時代の政党政治家。土佐藩出身。立志社に加盟し、板垣退助(たいすけ)に従って愛国社再興大会に出席。1881年(明治14)馬場辰猪(たつい)らと国友会を結成、さらに自由党の創立にも参画、その常議員、自由新聞社主となるが、板垣の洋行に反対しやがて馬場らとともに脱党した。1888年、後藤象二郎(しょうじろう)を擁して大同団結運動を推進し、雑誌『政論』を発刊するとともに東北、北陸地方に遊説した。1892年朝鮮駐箚(ちゅうさつ)弁理公使となり、防穀令(ぼうこくれい)事件の賠償を強要し、実現した。1896年進歩党の結成に参加し、翌年4月大隈重信(おおくましげのぶ)農商務大臣の下で次官を務めた。さらに1898年自由・進歩両党合同による憲政党の結成にあたっては創立委員となり、隈板(わいはん)内閣には農商務大臣として入閣した。以後、野党の立場にあった憲政本党の幹部として活躍、日露戦争後は非政友合同を画策して官僚派に接近、民党主義をとる犬養毅(いぬかいつよし)と対立した。1910年(明治43)犬養らと妥協して立憲国民党を結成して常務委員となったが、1913年(大正2)憲政擁護運動が高まるなかで脱党し、桂(かつら)太郎の立憲同志会結成に参加して総務となった。1915年第二次大隈内閣の下で大浦兼武(おおうらかねたけ)農商務大臣と対立、彼が内相に転じるのに反対していれられず、それを機に政界を引退、以後禅に没入した。[宇野俊一]

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