防穀令(読み)ぼうこくれい

百科事典マイペディア 「防穀令」の意味・わかりやすい解説

防穀令【ぼうこくれい】

1889年,朝鮮凶作を理由に実施された穀物輸出禁止令。日本人穀物商による米や大豆の買い占めと,その年の不作により朝鮮の農村食糧危機に陥ったが,日本商人が大打撃を受けたとして日本側は賠償を求めて強硬に抗議した。日本政府は14万円余の損害賠償の請求を行い,外交断絶通告を発して圧力をかけた。その後,清国の斡旋もあり,朝鮮側は11万円余の賠償金を支払うことで決着した。この一連事件防穀令事件とも呼ぶ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「防穀令」の解説

防穀令
ぼうこくれい

朝鮮開国後の不平等条約体制のもとで,朝鮮の地方官が米・大豆など穀類の日本への輸出を禁じた命令。1884年(明治17)から1901年までに27件を数えるが,1889年の黄海道・咸鏡道および90年の黄海道の防穀令は,日本側が賠償を請求し外交問題となり,清国の李鴻章(りこうしょう)に斡旋を依頼した結果,ようやく93年に日本側は賠償金11万円を得た。

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旺文社日本史事典 三訂版 「防穀令」の解説

防穀令
ぼうこくれい

1889(明治22)年,朝鮮政府による大豆・米の輸出禁止令
凶作のためであるが,日本人商人は打撃をうけ,日本政府は朝鮮進出の口実とし賠償を要求した。翌1890年解除されたが,両国間の紛争甲午農民戦争へと続く。

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世界大百科事典(旧版)内の防穀令の言及

【防穀令事件】より

…開港(1880)以来,元山では日本商人による大豆輸出が盛んであったが,咸鏡道観察使趙秉式(ちようへいしき)は同年10月,凶作による食糧難を理由に穀物の道外への搬出を禁止した。防穀令は伝統的な救荒政策の一つで,条約上も認められていたが,日本側が強硬に抗議したため紛糾し,朝鮮政府は同令を解除させたうえ趙を懲戒,更迭して解決を図った。しかし,商人たちは日本政府を動かし,91年12月朝鮮政府に対して14万円余の損害賠償の請求を行った。…

※「防穀令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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