デジタル大辞泉
「麓」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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ふ‐もと【麓】
- 〘 名詞 〙 山のすそ。山麓。
- [初出の実例]「い行会の坂の踏本(ふもと)に咲きををる桜の花を見せむ児もがも」(出典:万葉集(8C後)九・一七五二)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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普及版 字通
「麓」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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麓
ふもと
[現在地名]人吉市麓町
人吉城内西端に位置する武家町。西端に大手門があり、そこから城外へ通じる唯一の橋である大手橋が胸川に架かる。北側の球磨川に面する位置に人吉城の三ノ丸・二ノ丸・本丸がある。南は岩下門を経て岩下馬場・富ヶ尾と接する。町中央を麓馬場が東西に走り、東端は坂ノ下・新坂を経て、原城に通じる。町の中央東側に藩主の私生活の場である御館があり、それに付属する厩・大台所・蔵・金屋などの諸施設、武芸場の郷義館などもあり、その間に主として大身の武家屋敷が並んでいた。寛政一〇年(一七九八)の藩士分限帳(熊風土記)によれば、五〇〇石取相良金三郎・六〇〇石取米良主水をはじめ、万江主殿・井口門平・東伊右衛門・菱刈友右衛門ら一〇〇石以上を含む一六家の知行取がいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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麓
ふもと
府本,府下とも書く。江戸時代,薩摩藩の地方支配の中心地をいう。薩摩藩では家臣団の城下町集住が完全に行われず,身分的には武士であるが日常は農業に従事し,外城衆中 (とじょうしゅうちゅう) と呼ぶ郷士が在村していた。これら郷士の居住している地域が麓で,地頭仮屋,練武場などがあり,外城と呼ばれて数ヵ村または数十ヵ村から成る行政区画の中心となっていた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の麓の言及
【外城制度】より
…薩摩藩は藩主居城の鶴丸(鹿児島)城のほかに,領内を113の区画に割って,これを外城(普通には郷という)と呼んでいた。4人に1人は武士という過大人口の武士を扶持するために屯田兵制度をとったのであり,1615年(元和1)の一国一城令があるから,外城といっても城郭があるわけではなく,旧城跡の山麓かまたは城跡と無関係の平地に麓集落をつくっていた。しかし戦時には郷士は地頭指揮下に1軍団を形成したから,外城と呼んだのである。…
※「麓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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