日本大百科全書(ニッポニカ) 「陸修静」の意味・わかりやすい解説
陸修静
りくしゅうせい
(406―477)
中国、東晋(とうしん)末~南朝宋(そう)の道士。字(あざな)は元徳(げんとく)、号は簡寂(かんじゃく)先生、諡号(しごう)は高道処士(こうどうしょし)。呉興(ごこう)(浙江(せっこう)省)東遷(とうせん)の人。南朝宋の明帝(めいてい)が467年(泰始3)に都建康(けんこう)の北郊に崇虚館(すうきょかん)を建てて迎えたことは有名。道教史における陸修静のおもな功績は、〔1〕『三洞経書目録(さんどうきょうしょもくろく)』の作成、〔2〕『霊宝経(れいほうきょう)』の編纂(へんさん)、〔3〕天師道(てんしどう)の改革の三つがあげられる。『三洞経書目録』とは、471年4月に明帝の勅(みことのり)によって献上された最古の道教経典総合目録である。この目録が作成されて以後、現在に至るまで道教経典の分類に、洞真(どうしん)・洞玄(どうげん)・洞神(どうしん)の三洞説が用いられている。第二の『霊宝経』とは、南朝宋の時代に仏教の大乗思想を摂取して、道教の大乗経典としてつくられた一群の経典であり、陸修静はこれらの『霊宝経』を校定編纂するとともに、元始(げんし)(天尊)系と仙公(せんこう)(葛(かつ)玄)系の2系統に分類整理した。第三の天師道の改革では、腐敗堕落した天師道教団を改革し、戒律と儀礼の整備を行った。
[小林正美 2018年5月21日]
『福井康順著『霊宝経の研究』(『東洋思想史研究』所収・1960・書籍文物流通会)』▽『小林正美「劉宋における霊宝経の形成」(『東洋文化』第62号所収・1982・東京大学東洋文化研究所)』