デジタル大辞泉
「虎渓三笑」の意味・読み・例文・類語
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こけい‐さんしょう‥サンセウ【虎渓三笑】
- 〘 名詞 〙 晉の慧遠(えおん)法師が廬山にいた時、訪ねてきた詩人の陶淵明、道士の陸修静を送りながら、話に夢中になって、日頃渡るのを避けていた虎渓を過ぎてしまい、虎の声に初めて気がつき、三人で大笑いしたという「廬山記‐叙山北」の故事。また、それを画題とした水墨画。虎渓の三笑。三笑。
- [初出の実例]「妙心寺にも、狩野山楽が描いた立派な虎渓三笑があり」(出典:廬山(1971)〈秦恒平〉)
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虎渓三笑
中国晋の慧遠法師が廬山にいた時、訪ねてきた詩人の陶淵明、道士の陸修静を送りながら、話に夢中になって、日頃渡るのを避けていた虎渓を過ぎてしまい、虎の声に初めて気がつき、三人で大笑いしたという「廬山記―叙山北」の故事。また、それを画題とした水墨画。
[使用例] 妙心寺にも、狩野山楽が描いた立派な虎渓三笑があり[秦恒平*廬山|1971]
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虎渓三笑【こけいさんしょう】
中国の故事で,東洋画の画題の一つ。虎渓は廬山にある谷川で,奥の東林寺に隠棲(いんせい)していた僧慧遠(えおん)はここを境として決して出なかった。ある時陶潜(淵明),陸修静を送った際に,語り合いつつ思わず虎渓を通り過ごし,気がついてから3人で大笑したという。宋代の石恪が描いたのが最初で,日本でも周文,雪舟,狩野正信ら多くの画家が描いている。
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虎渓三笑
こけいさんしょう
日本・中国画の画題で、中国の故事を扱ったもの。中国六朝(りくちょう)の東晋(とうしん)に、景勝地また仏教の霊場として名高い江西省廬山(ろざん)に慧遠(えおん)(334―416)という学僧がおり、白蓮社(びゃくれんしゃ)を結成、西方往生を期し、30年の間、山を出なかった。ある日、陶淵明(とうえんめい)と陸修静の両人が彼を訪ねて清談し、両人の帰る際、慧遠は送りに出たが、話が尽きず、いつもは虎渓に架かる石橋を出たことがないのに、気づいたときには、虎渓を数百歩も過ぎていたので、3人は手を打って大いに笑ったという。この禅味のこもった題材は、日本では禅宗が広まってから水墨画に好んで描かれるようになり、雪舟、曽我直庵(そがちょくあん)、狩野山楽(かのうさんらく)、池大雅(いけのたいが)の作品がある。
[永井信一]
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虎渓三笑 (こけいさんしょう)
Hǔ xī sān xiào
中国,廬山の東林寺に住していた晋の慧遠(えおん)法師が安居禁足の誓いをたて虎渓を渡らずにいたところ,ある日,陶潜(淵明),陸修静の2人を送りながら,知らぬまに虎渓を渡ってしまったことに気づき,3人で大笑したという故事。東洋画の画題としてとりあげられることが多く,中国では宋以降禅宗系の絵画に,日本では室町以降漢画系の絵画に,その作例を残している。
執筆者:戸田 禎佑
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虎渓三笑
こけいさんしょう
Hu-hsi San-hsiao
中国の故事。虎渓は中国江西省九江県の南方の廬山東林寺の前の渓谷。この東林寺に住した晋代の高僧慧遠 (えおん) は白蓮社をつくって修業者の指導をしたが,客を送るときも虎渓の橋を越えることがなかった。ある日,陶淵明,陸修静の2人がきて寺で清談に時を過し,帰るにあたっても話が尽きず,慧遠が虎渓まで送ってきたが,気がついたときはすでに橋を渡っていたので3人が大笑いしたという。この故事は史実として疑問とする説があるが,中国,日本の画題として好まれ,多くの作品がある。
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