デジタル大辞泉
「隅田八幡神社」の意味・読み・例文・類語
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隅田八幡神社
すだはちまんじんじや
[現在地名]橋本市隅田町垂井
JR隅田駅の北西、宮ノ壇とよばれる台地上に鎮座。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長足姫命・丹生都比売神・瀬織津比売神。旧県社。
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
〔草創と組織〕
中世は隅田荘の領主山城石清水八幡宮の別宮であったが、草創は明らかでない。「続風土記」は「神功皇后、誉田皇子と共に衣奈浦より大和国に趣かせ給ふ御道すから此地に暫御滞留ましまし地なる故に、後世其遺蹤に八幡宮を勧請し奉りしなるへし」と記し、隅田八幡宮由来略記(社蔵)もほぼ同様の伝えを載せる。隅田荘の成立に伴い、荘鎮守として石清水八幡宮の祭神を勧請したものであろう。以後、石清水八幡宮を本宮としてその支配下にあり、鎌倉時代以降は在地の豪族隅田氏を中心とする隅田党の氏寺利生護国寺(現橋本市護国寺)とともに氏神として発展した。寺人・神人の構成は、本宮の石清水八幡宮に倣ったといい、別当寺を大高能寺と称した。隅田荘内の寺院のうち二一ヵ寺が近世に大高能寺末寺であった(続風土記)。この別当寺のもとに供僧六人(六坊家)が置かれ、神職として神主・大禰宜・禰宜・神子・宮使・承使各一人がいた。六坊家は乾之坊・中之坊・角之坊・辻之坊・南之坊・新之坊からなり、六坊家共有文書によると正月の修正会、八月の放生会などの隅田八幡宮の神事に参画していた。
〔隅田党と宮座〕
平安末期から鎌倉時代にかけて隅田荘の公文職・預所職・地頭職を有していた隅田党の中心隅田氏は、隅田八幡宮の俗別当職を兼帯していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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百科事典マイペディア
「隅田八幡神社」の意味・わかりやすい解説
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隅田八幡神社
すだはちまんじんじゃ
和歌山県橋本市隅田町に鎮座。旧県社。祭神は誉田別(ほんだわけ)命・足仲彦命・息長足姫(おきながたらしひめ)命・丹生都比売(にうつひめ)神・瀬織津姫命。1072年(延久4)には確認でき,石清水八幡宮領隅田荘の鎮守として勧請されたのが創祀と考えられる。のちに隅田荘の荘官を勤めた在地領主の隅田氏の氏神ともされ,隅田氏は俗別当職にもついた。神仏習合により,平安後期以降は別当寺として大高能寺がおかれた。中世後期には宮座が結成され,祭礼の奉仕は頭役を中心に行われた。例祭は10月15日。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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隅田八幡神社
すだはちまんじんじゃ
和歌山県橋本市隅田町に鎮座。誉田別尊(ほんだわけのみこと)、足仲彦(たらしなかつひこ)尊、息長(おきなが)足姫尊、丹生都比売(にぶつひめ)神、瀬織津(せおりつ)比女神を祀(まつ)る。旧県社。例祭は10月15日。社宝の人物画像鏡(国宝)は、一部に万葉仮名を用いてわが国の文字使用草創期の銘文を残す数少ない作例の一つとして著名。また中世、当社の俗別当であった隅田党に関する「隅田文書」も伝えられ、中世武士団の行動様式や信仰の実態を如実に示している。
[佐野和史]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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隅田(すだ)八幡神社
和歌山県橋本市にある神社。祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)など。人物画象鏡(国宝)、隅田八幡文書などの寺宝を有する。
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世界大百科事典(旧版)内の隅田八幡神社の言及
【隅田八幡宮】より
…和歌山県橋本市隅田町に鎮座。現在は隅田八幡神社。祭神は誉田別尊,足仲彦尊,息長足姫尊。…
【隅田八幡人物画像鏡】より
…和歌山県橋本市所在の隅田八幡神社蔵の銅鏡。径19.6cm。…
※「隅田八幡神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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