日本大百科全書(ニッポニカ) 「隋の時代」の意味・わかりやすい解説 隋の時代(年表)ずいのじだいねんぴょう 注:541は西魏、580までは北周の年号、618以後は唐の年号541(大統7) 楊堅(文帝)生まれる573(建徳2) 楊堅の長女、北周の皇太子(宣帝)妃となる580(大象2) 楊堅、北周の左大丞相となる581(開皇1) 楊堅、北周の禅譲を受け、隋を建国する。開皇律を公布する582(開皇2) 突厥(とっけつ)が隋に入寇583(開皇3) 大興城(唐の長安城)完成584(開皇4) 広通渠(こうつうきょ)を開く587(開皇7) 邗溝(山陽涜(さんようとく))完成。後梁を滅ぼす589(開皇9) 陳を滅ぼし中国統一を達成。三長制を廃して隣保制を始める593(開皇13) 仁寿宮が建てられる(~595)595(開皇15) 全国民間の武器私蔵を禁じる。州の郷官・九品中正の廃止596(開皇16) 光化公主が吐谷渾(とよくこん)に嫁ぐ598(開皇18) 高句麗討伐失敗。洛陽城(東京)を造営600(開皇20) 倭、遣隋使を派遣602(仁寿2) 入寇した東突厥を破る603(仁寿3) 東突厥の啓民可汗が降服604(仁寿4) 煬帝(ようだい)、文帝を殺して即位605(大業1) 通済渠を開く606(大業2) 進士科を設ける。科挙制の整備607(大業3) 大業律公布。倭、小野妹子を隋に派遣608(大業4) 永済渠を開く。小野妹子、隋使裴世清(はいせいせい)と帰国。妹子はのちふたたび隋へ使いす609(大業5) 吐谷渾を親征し西域交通路を確保。妹子、隋より帰国610(大業6) 大運河完成611(大業7) 高句麗遠征の詔を下す612(大業8) 第一次高句麗遠征失敗613(大業9) 第二次高句麗遠征。楊玄感の乱が起こる614(大業10) 第三次高句麗遠征615(大業11) 東突厥、煬帝を雁門に囲む616(大業12) 煬帝、揚州に行く617(大業13) 李密が挙兵、洛口倉による。李淵(唐の高祖)が挙兵、長安に入り代王侑を擁す618(武徳1) 煬帝殺さる。李淵が恭帝侑の禅譲を受け、唐を建国619(武徳2) 楊侗、王世充に譲位 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例