日本大百科全書(ニッポニカ) 「農業水利」の意味・わかりやすい解説
農業水利
のうぎょうすいり
作物の生育に必要な用水を確保し、それを耕地に供給する灌漑(かんがい)、あるいは作物が必要としない余分な水を耕地外に排除するために行う排水など、組織的な水利用活動のこと。なお、灌漑は、対象とする耕地の種類によって、水田灌漑と畑地灌漑とに分けられる。
もともと、水は降水として自然に与えられるが、自然水がそのままで人間の生産活動に役だつ範囲には限界があるので、自然水を蓄え、導き、あるいは排除するための水利施設が必要となる。古代メソポタミアの人々は大掛りな運河、堤防、貯水池などをつくり、これらを基礎として、ティグリス川やユーフラテス川のほとりに世界最古の農耕文化を築き上げた。わが国でも登呂(とろ)遺跡の例にみるように、すでに弥生(やよい)時代から水田灌漑の施設がつくられている。しかし、大河川下流部の沖積平野で水利施設がつくられ、そこでの水田開発が進むのは、鉱山技術、築城技術と結び付いた土木技術の発展がみられるようになった16世紀後半から18世紀初めにかけてのころである。以後これらの水利施設は、絶えず改良、更新を重ねながら今日まで引き継がれてきた。こういった農業水利活動の積み重ねにより、わが国水田面積のうち、自然の降雨だけに頼る天水田は5%以下にすぎず、90%以上の水田が人工的加工度の高い河川、溜池(ためいけ)などの水利施設に依存するようになっている。このため、わが国は世界でも有数の膨大な水利資産をもっており、農林水産省調査によるその評価額は、1995年度(平成7)再建設費ベースで22兆円超である。
水を不可欠とするわが国の水田農業では、経営規模が零細なうえ、一枚ごとの水田を多数の農民が互いに入り組んで耕作してきたので、個別に水利施設をもつことは困難であった。そのため、水利施設や用水を村落ごとに管理、利用する組織がつくられ、さらに河川灌漑の場合は、村落→用水支線単位の用水組合→幹線用水を軸とした用水組合、という重層的な用水管理組織がつくられた。現在でもこの組織構成は、幹線用水組合は土地改良区、それ以下は、村落あるいは村落連合で組織される任意水利組合というように、基本的には変わっていない。したがって、現実の水利用は村落単位に行われるので、慣習が色濃く反映した水利慣行を存続させる組織的条件となっていた。
しかし、わが国の農業水利を特徴づけてきたこの水利慣行も、第二次世界大戦後段階における水稲栽培技術、機械化技術の発展や農業経営の充実、さらには広い地域にわたる土地改良事業の実施などで大きく変化し、農業発展を支えるにふさわしい新しい農業水利秩序が各地で形成されるようになった。むしろ、今日の農業水利が当面している問題は、広範な農民の兼業化・日曜百姓化による集団的用水管理の混乱や他産業水利との間の水資源配分をめぐる競合などにある。
[永田恵十郎]
『農林省農地局編『日本農業と水利用』(1960・水利科学研究所)』▽『永田恵十郎著『日本農業の水利構造』(1971・岩波書店)』▽『玉城哲・旗手勲著『風土』(1974・平凡社)』▽『緒形博之他著『農業水利学』(1985・文永堂出版)』▽『志村博康著『農業水利と国土』(1987・東京大学出版会)』▽『田林明著『農業水利の空間構造』(1990・大明堂)』▽『梅田安治他著『農業水利と地域の資源・環境』(1995・農業土木新聞社)』