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露の五郎兵衛 ツユノゴロベエ

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デジタル大辞泉の解説

つゆ‐の‐ごろべえ〔‐ゴロベヱ〕【露の五郎兵衛】

[1643~1703]江戸前期の落語家。京都の人。号は雨洛・露休。辻噺(つじばなし)を創始し、洛中各地で興行、軽口頓作(とんさく)で人気を博した。著「露がはなし」「露新軽口ばなし」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

露の五郎兵衛

没年:元禄16(1703)
生年:寛永20?(1643)
元禄期,京都で活躍した辻噺の祖。もと日蓮宗の談義僧であったが還俗し,貞享のころ(1684~88)から京都の北野天満宮,真葛が原,四条河原などで,往来の聴衆を前に笑い話歌舞伎物真似,判物 を演じた。また日待,月待などの余興座敷に呼ばれ,ときには貴人に招かれることもあった。のちに法体して露休。彼の咄は『露がはなし』などにまとめられ,それらは軽口本と呼ばれた。不特定の庶民に笑い話を提供した点で大名に仕えたかつての御伽衆とは異なり,上方落語の祖と呼ばれる。<参考文献>肥田晧三「大阪落語」(『日本の古典芸能9/寄席』)

(荻田清)

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世界大百科事典 第2版の解説

つゆのごろべえ【露の五郎兵衛】

1643‐1703(寛永20‐宝永1)
江戸前期の噺家。前半生の経歴は不明であるが,もと日蓮宗の説教僧であったらしい。僧名は露休。延宝・天和(1673‐84)のころから京都の祇園真葛原,四条河原,北野天満宮などで辻咄を演じ,辻談義の名人といわれた。持ち前のすぐれた滑稽の表出力と巧妙な話芸による軽口(かるくち)咄が人気を呼び,上方落語の元祖といわれる。咄本として《露がはなし》(1691),《露新軽口はなし》(1698),《露の五郎兵衛はなし》(1701ごろ),《露休はなし》(元禄末),《露休置土産》(1707)などが知られている。

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大辞林 第三版の解説

つゆのごろべえ【露の五郎兵衛】

1643~1703) 京落語の祖。日蓮宗の談義僧より還俗。街頭における辻咄つじばなしのほか、貴人にも召された。晩年、再び剃髪して露休。著「露新軽口ばなし」「露五郎兵衛新ばなし」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

露の五郎兵衛
つゆのごろべえ

落語家。[関山和夫]

初代

(1643―1703)もと日蓮(にちれん)宗の僧で、露休(ろきゅう)という僧名を用い、辻(つじ)談義(辻咄(ばなし))を得意とした。寛文(かんぶん)・延宝(えんぽう)・天和(てんな)・貞享(じょうきょう)・元禄(げんろく)(1661~1704)のころ約30年にわたって、京都の祇園真葛ヶ原(ぎおんまぐずがはら)や四条河原(しじょうがわら)、北野天満宮などで辻咄を演じて人気があった。『露がはなし』(1691)、『露新軽口ばなし』(1698)、『露五郎兵衛新ばなし』(1701)、『露休(ろきゅう)ばなし』(1702ころ)、『露休置土産(みやげ)』(1707)などの著書を残し、上方(かみがた)咄の祖といわれる。[関山和夫]

2代

(1932―2009)本名明田川一郎。1947年(昭和22)2代桂春団治(はるだんじ)に入門。桂春坊、桂小春団治を経て1968年2代露の五郎襲名。怪談や人情咄を得意とした。『なにわ橋づくし』ほか、著作も多数ある。1994年(平成6)~2003年まで上方落語協会会長。2000年紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章。2005年2代目五郎兵衛を襲名。[関山和夫]
『武藤禎夫・岡雅彦編『噺本大系 第6巻』(1976・東京堂出版) ▽武藤禎夫編『未刊軽口咄本集』上下(1976・古典文庫) ▽2代目露の五郎著『なにわ橋づくし』(1988・朝日新聞社) ▽2代目露の五郎著『上方落語のはなし』(1992・朝日新聞社) ▽2代目露の五郎著『露の五郎川柳句集』(1997・東方出版) ▽2代目露の五郎著『五郎は生涯未完成――芸と病気とイエスさま』(2005・マナブックス)』

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世界大百科事典内の露の五郎兵衛の言及

【談義】より

…また民間には僧形をした在俗の芸人も現れ,仏教的な咄(はなし)をして喜捨を受けた。元禄(1688‐1704)のころ京都の露の五郎兵衛は僧形で咄をして露休という僧名も用いたが,彼の辻咄は辻談義ともいわれた。寺院での談義は朝,昼,夜におこなわれていたが,しだいに娯楽化して話芸的要素を濃くした。…

【辻咄∥辻噺】より

…仏教界の辻説法が芸能化したもので,元禄(1688‐1704)のころには辻談義(談義は説法・説教の異称)といっていた。各務(かがみ)支考の《本朝文鑑》辻談義説の条に京都の噺家の露の五郎兵衛について〈世ニ云フ辻噺ノ元祖ナリト〉とある。寺社の縁日,涼み場,夜店など人が大勢来る場所に席を設けて咄をした。…

【落語】より

…その後まもなく,〈はなし〉を〈軽口〉というようになるとともに,はなしのおもしろさを効果的に結ぶ〈落ち〉の技術もみがかれていった(後出〈落ちの型〉を参照)。
[辻咄時代]
 落語が飛躍的に進歩したのは,延宝・天和年間(1673‐84)ごろから京都で辻咄(つじばなし)をはじめた露(つゆ)の五郎兵衛と,おなじころ江戸で辻咄をはじめた鹿野(しかの)武左衛門,貞享年間(1684‐88)ごろから大坂で辻咄をはじめた米沢彦八という3人の職業的落語家の功績だった。 辻咄というのは,街の盛場や祭礼の場によしず張りの小屋をもうけ,演者は広床几(ひろしようぎ)の上の机の前で口演し,聴衆は床几に腰をかけて聴くという形式をとり,晴天に興行して道ゆく人の足をとめ,咄が佳境にはいったころを見はからって,銭を集めて回るという庶民的演芸だった。…

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