日本大百科全書(ニッポニカ) 「青木淳」の意味・わかりやすい解説
青木淳
あおきじゅん
(1956― )
建築家。神奈川県生まれ。1980年(昭和55)、東京大学工学部建築学科卒業。1982年同大学院修士課程修了。1983年から1990年(平成2)まで磯崎新(あらた)アトリエ勤務。1991年、青木淳建築計画事務所設立。東京工業大学、東京芸術大学、日本女子大学などで教鞭をとる。青木は事務所設立後、知的かつ新しい感覚の作品をたて続けに発表し、一躍建築界の注目を集める。
1994年から、青木は作品タイトルにアルファベットを1文字ずつ割りあてた住宅のシリーズを開始した。住宅H(1994。東京建築士会住宅賞)は、寝室や食堂などの部屋で仕切らず、全体が廊下のようにつながるワンルーム的な空間をもつ。そして1階の「夫人の領域」と2階の「夫の領域」が、吹き抜けを通して浸透しあう。青木は、このように空間を区切らないで、均質でないまま連続させる「動線体」の概念を提唱した。ほかにも、移動する空間が形態化した熊本県阿蘇市の馬見原橋(まみはらばし)(1995。くまもと景観賞)や曖昧(あいまい)な空間の性格を残した住宅L(1999)などが挙げられる。また、住宅S(1996。吉岡賞)や遊水館(1997、新潟県。JCDデザイン賞)では、異なる二つの世界を巧みに組み合わせる空間の構成を試みた。
1990年代後半からは、公共施設を手がけている。新潟の潟(がた)博物館(1997。日本建築学会作品賞)の外観は逆さの円錐形になっており、中央の展示室を螺旋(らせん)状に続く空間が囲む。その結果、展示室を上ると周囲の風景が見え、博物館が外の潟を眺めるギャラリーに変容する。2000年には青森県立美術館のコンペで一等を獲得した。これは敷地に隣接する三内丸山(さんないまるやま)遺跡の雰囲気をそのまま延長し、地面を掘り込み、床をたたき、壁を版築(土壁などの施工方法。土や粘土を棒で突き固めて重ねる)とした土の展示室をつくることを提案した。青木は「その場の質」という言葉を用いて、建築でシンボルをつくるのではなく、与えられた固有の条件から形態を発生させることを提唱している。
ルイ・ヴィトンの一連の店鋪デザインも、青木を広く知らしめることになった。最初のルイ・ヴィトン名古屋(1999)は、市松模様がガラス面と背後の壁にプリントされ、周囲を歩くと、二重のパターンが干渉しあい、モアレの現象が起きる。ルイ・ヴィトン銀座(2000、東京都)では、遠景でさらに大きな模様が現れるよう洗練させている。この形式はシンガポールや韓国のルイ・ヴィトンの店舗にも継承された。また青木は、表参道のルイ・ヴィトン(2002、東京都)において、トランクを積み重ねたような構成のビルを設計している。
そのほかの主な建築作品に、住宅O(1996)、御杖(みつえ)小学校(1998、奈良県)、雪のまちみらい館(1999、新潟県)、住宅B(1999)、住宅I(2001)など。著書に『Atmospherics』(2000)、『住宅論』(2000、共著)などがある。
[五十嵐太郎]
『『Atmospherics』(2000・TOTO出版)』▽『青木淳・伊東豊雄・川俣正・妹島和世ほか著『住宅論――12のダイアローグ』(2000・INAX出版)』▽『「特集青木淳」(『建築文化』1999年11月号・彰国社)』