改訂新版 世界大百科事典 「非局所場理論」の意味・わかりやすい解説
非局所場理論 (ひきょくしょばりろん)
theory of non-local fields
広がりをもつ素粒子像にもとづく場の理論で,ソ連のM.A.マルコフ(1940),湯川秀樹(1948)らによって提唱された。物質の究極的要素としての素粒子はそれ以上分割できない有限の構造をもつか,それとも純粋に幾何学的な点状粒子であるか,それは古くからの関心事であったが,飛躍的に進歩した今日の物理学においても依然として興味ある問いである。素粒子の世界を記述するうえで,現在もっとも確からしいと信じられているゲージ理論は局所場の理論に属し,そこでは素粒子は本来構造をもたない点状粒子であると考えられている。局所場は電場や磁場のように空間点を指定すればそこでの値が定まる局所的量である。局所場の理論は相対性理論や量子論の枠組みの中でよく整合的に定式化され,少なくとも電磁現象についてはきわめて高い精度で実験と一致することが知られている。しかし,それは素粒子の点模型に由来すると思われる理論的欠陥をもっている。その一つは〈発散の困難〉と呼ばれるもので,この理論でまともに物理量を計算しようとすると,例えば素粒子の電荷や質量(自己エネルギー)が無限大になってしまう。それら無限大の量を観測値でおきかえる,いわゆる〈くりこみの手続〉をほどこしてはじめて他の諸量も有限に計算される。他方,高エネルギー物理学の進展に伴って,自然界には〈どのような種類の素粒子が存在し,どのような型の相互作用が支配しているか〉などについての認識が急速に深まりつつある。しかし,上述の局所場理論ないしゲージ理論自体は,〈なぜに自然はそのように存在しているか〉を説明できない。
以上に述べた二つの事柄は,いずれもわれわれが究極理論にいたるにはまだ何かの原理を欠いていることを暗示している。実際,湯川が1948年局所場の理論を超えて,時空間の2点に依存する双局所場の理論を提唱した背景には,発散の困難の除去のほかに,中間子論(1935)の展開の中で発見された,電子の単なる繰返しとも見える奇妙なミュー(μ)中間子(当時は中間子と考えられていたのでこの名がある。現在はミューオン,あるいはミュー粒子と呼ばれている)の〈存在理由〉を説明できるような質的に新しい理論を建設しようとするねらいがあった。物質の究極的要素は単なる幾何学的点であろうはずがなく,それ以上分割できない有限の構造をもち,その構造の違いが素粒子の存在の多様性を引き起こすと考える。しかし,この考えを相対性理論と量子論の枠内で定式化しようとすると,因果律の破れなど深刻な困難に逢着(ほうちやく)する。湯川が上述の双局所場から多局所場の理論へ,さらに時空間の原子論ともいうべき素領域理論(1965)へと進んでいった背景にはこのような問題があり,現在も完結した理論には到達していない。しかし最近,重力をも含む素粒子の〈大統一理論〉の建設が日程にのぼる中で,プランクの長さ(~10⁻33cm)がわれわれの四次元時空間の基本的長さであるとする考えが浮上してきたことは,素粒子の究極的構造を考えるうえで興味深い。
→素粒子
執筆者:田中 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報