小説家、新聞記者。本名光暉(みつてる)。伊予国(愛媛県)宇和島藩士須藤但馬(たじま)の次男。明倫館に学び松山師範学校卒業後、教員生活ののち上京し、『有喜世(うきよ)新聞』に入社した。同紙が『開花新聞』『改進新聞』と改名するにつれて、新聞小説で有名になり、『読売新聞』の饗庭篁村(あえばこうそん)と双璧(そうへき)とうたわれた。1886年(明治19)には、『照日葵(てるひのあおい)』『緑簑談(りょくさだん)』『新粧之佳人』などの政治小説によって注目された。92年、『大阪朝日新聞』に招かれて関西に移り、1905年(明治38)帰京。以後、『東京朝日新聞』に小説を書き、高僧伝を刊行した。
[興津 要]
『柳田泉著『政治小説研究 中』(1968・春秋社)』
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…ほかに自由党系の《自由灯(じゆうのともしび)》,改進党系の《改進新聞》も,政治小説の有力な発表機関だった。これらの新聞は政治小説の啓蒙的役割を重視したが,その記者にも《自由新聞》の桜田百衛(ももえ)(1859‐83),《絵入自由新聞》の小室案外堂(あんがいどう),《報知新聞》の矢野竜渓,尾崎咢堂,《改進新聞》の須藤南翠(なんすい)ら政治小説家として活躍した人が少なくない。大デュマの《一医師の追憶》を翻案した《仏国革命起源 西洋血潮小暴風(にしのうみちしおのさあらし)》(1882)で,原作にない熱烈な民権論を鼓吹したことで東洋のユゴーと呼ばれた桜田は83年に夭折するが,その志を継いで革命文学としての政治小説を精力的に執筆したのは宮崎夢柳(1855‐89)である。…
※「須藤南翠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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