日本歴史地名大系 「須須神社」の解説
須須神社
すずじんじや
万治三年(一六六〇)の須須神社縁起(須須神社文書、以下とくに断らない限り同文書)によれば、崇神天皇のときに創建され、欽明天皇二年・養老元年(七一七)・康平四年(一〇六一)に再建されたと伝え、文政七年(一八二四)の社号帳では初め山伏山に鎮座していたが、天平勝宝年間(七四九―七五七)に現在地へ移ったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
万治三年(一六六〇)の須須神社縁起(須須神社文書、以下とくに断らない限り同文書)によれば、崇神天皇のときに創建され、欽明天皇二年・養老元年(七一七)・康平四年(一〇六一)に再建されたと伝え、文政七年(一八二四)の社号帳では初め山伏山に鎮座していたが、天平勝宝年間(七四九―七五七)に現在地へ移ったという。
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石川県珠洲(すず)市三崎町寺家(じけ)に鎮座。高座(倉)(たかくら)宮と金分(かなわけ)宮の二宮からなる。前者は天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、後者は木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祀(まつ)る。崇神(すじん)天皇の代に山伏山(鈴ヶ嶽(だけ))に創祀(そうし)されたと伝える。『三代実録(さんだいじつろく)』の貞観(じょうがん)15年(873)8月4日の条に、能登(のと)国従(じゅ)五位下高倉彦神(たかくらひこのかみ)が従五位上を授けられた記事がみえ、当社の高座宮のことといわれる。また『延喜式(えんぎしき)』神名帳の能登国珠洲郡に登載される「湏湏神社」は当社にあたるという。1403年(応永10)穴水(あなみず)城主の長谷部頼連(はせべらいれん)は田地を寄進。さらに1584年(天正12)加賀藩主前田利家(としいえ)が田地を寄進して以後、歴代藩主の崇敬は厚かった。1895年(明治28)県社に列せられた。例祭9月14日。社宝に木造男神像5躯(く)(国指定重要文化財)を蔵している。社叢(しゃそう)も国指定の天然記念物。
[三橋 健]
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