江戸幕府の直轄領のうち,近接した大名・旗本もしくは遠国奉行に管理を委託した土地。預地(あずかりち)ともいう。もともと戦国大名の給人預け地としての蔵入地にその原型をおいており,豊臣政権が諸大名の領内に設定した太閤蔵入地の一部を引き継いだものである。江戸幕府は,これをしだいに代官支配地に変更しており,1713年(正徳3)には一時全廃したものの,20年(享保5)にふたたび復活した。29年には,会津藩12万石,福井・高田藩10万石,新発田・長岡藩6万石,鶴岡・姫路藩4万石など,奥羽・北陸地方の譜代大名を中心に約60万石,佐渡奉行など遠国奉行が13万石余に及び,合計で幕領地総石高の約6分の1を占めている。その後幕末に至るまで領地に多少の変更はあるが,全体比はほぼ変りがない。預地の支配は,通例管理をゆだねられた藩のしおきに任されていたが,年貢は藩が徴収し幕府米蔵へ回送することになっており,その代償として口米・口永が藩の収入となった。
執筆者:大口 勇次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…政治・軍事上および財政・経済上から見て枢要な地帯に,天領が配置されていると理解できるが,なかんずく貿易港長崎と貨幣鋳造原料を産出する主要鉱山を直轄したことの意義は大きい。 天領の支配は,石高5万~10万石前後に1人の代官(郡代)を置いたが,一部は大名預地(預所(あずかりしよ))と称して近隣の藩に預けて年貢米の徴収を委託した。江戸には町奉行を置くほか,主要な拠点には遠国(おんごく)奉行(大坂,京都,駿府,伏見,奈良,堺,山田,日光,下田,浦賀,新潟,佐渡,長崎,箱館,兵庫(幕末),神奈川(幕末))を置いて支配した。…
※「預所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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