デジタル大辞泉 「ウェーバー」の意味・読み・例文・類語
ウェーバー(Weber)
(Wilhelm Eduard ~)[1804~1891]ドイツの物理学者。の弟。ガウスと共同研究し、地磁気を計測。電磁気理論を開拓。
西欧文化と近代社会を貫く原理を〈合理主義Rationalismus〉に求め,その系譜,本質,帰結を解明したドイツの思想家。エルフルトに生まれ,まもなくベルリンに移った彼は,国民自由党の代議士として活躍した父,敬虔なプロテスタントで教育熱心な母の長男として,経済的にも文化的にも恵まれた家庭に育った。ハイデルベルク大学,ベルリン大学ほかで学び,1889年中世商事会社に関する法制史的研究でベルリン大学において学位を得たのち,社会政策学にしだいに関心を移した。94年,30歳でフライブルク大学国民経済学の教授になったが,97年,突如神経疾患に陥った。1903年以降は在野の研究者として《社会科学・社会政策雑誌Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik》(1904創刊)の編集やドイツ社会学会の創設に尽力する。また,彼はハイデルベルクに住み,若い知識人サークルの中心的人物としても活躍した。18年,ドイツ敗戦後ふたたびウィーン大学,そしてミュンヘン大学で教鞭をとりはじめた彼は,パリ講和会議に出席したり,青年のための講演を行ったり,往年の活動力を回復したが,20年肺炎のためミュンヘンで急死する。業績の大半は生前完成されることなく,〈偉大なトルソ〉として後世に残された。
しかし,ウェーバーが生涯にわたってとり組んだ問題の領域は広大で,その学問的議論は徹底していた。彼の学問的展開は,法制史から経済史,社会科学の一般方法論,さらに宗教社会学に関する一連の準備的労作から体系的な社会学の構築へと跡づけることができる。その過程で,マルクス主義への深い認識とリッケルトの哲学,ロッシャーやクニースの経済史など当代のドイツの諸学の批判的検討をふまえつつ,〈観念論と科学的方法〉〈経済と宗教〉〈マルクス主義とナショナリズム〉〈政治への関与と社会科学の客観性〉等々,世紀末から20世紀にかけての社会科学に内在するほとんどすべての問題を顕在化させ,認識すべき論点として提示した。しかも,これら多岐にわたる知的関心のすべては,より根本的で中心的な大問題の解明と結ばれていて,それらをある種の総合にまで深めようとする〈英雄的〉な努力で一貫していた。それは,現代ヨーロッパ世界の根底にある公的活動の全局面における官僚制化の傾向と〈精神なき専門人〉による社会の現出,そしてその傾向が表示し,かつ西ヨーロッパ社会を他の文明社会から区別してきた〈合理化〉の問題であった。
ウェーバーの生涯は精神の病を画期に通常二分されるが,合理化への関心が前面にたちあらわれるのは,1903年にはじまる〈創造の新しい局面〉以降である。闘病生活後,彼が最初に従事したのは19世紀的科学観の再検討である(《社会科学および社会政策的認識の客観性》1904,《職業としての学問》1919)。科学は人生の意味や価値を教えてはくれない。価値(当為)を支えているのは人間であって科学ではない。しかし,科学と価値は無縁ではなく,むしろ政治的・社会的信念は社会科学の領域での創造にとって不可欠なものである。〈道徳的無関心の態度は,科学的客観性とはなんの関係もない〉ということをウェーバーは力説している。科学者にとって大切なのは己の価値を知り制御すること,すなわち〈価値自由Wertfreiheit〉の態度である(価値自由論は特に社会政策学会で論争の的になり価値判断論争をひきおこした)。価値は,科学によって根拠づけられえないが,科学の認識対象となりうる。社会現象は,関与する個々の人間の行為に還元されて〈説明〉される。しかもその際,行為はエートスと呼ばれる価値的態度と関係づけられ〈理解〉されねばならない。価値判断に関するいかなる絶対的なものも認めず,しかも,さまざまな〈価値〉と複雑に結びついている現実の歴史的・社会的現象を分析し理解する手続きとして,ウェーバーは厳密に純粋理論的に構成された概念(理念型)の設定とそれとのたえざる比較という方法を打ち立て,〈理解社会学〉を提唱した。19世紀的合理主義の枠内では対立する二つの方法,すなわち説明と理解とは,理解社会学の立場に立つと,補完するものとして接合されるべきものとなる。(《経済と社会》)。
彼は新しい科学観をもって経済の19世紀的把握に切りこむ。彼にとって経済は近代西欧を支配する最大の力である。この力をマルクスにならい〈資本主義〉と名づけ,まったく新しい視角からその本質を解明したのが《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》(1904-05)である。この記念碑的論文で彼は,資本主義のエートスを〈職業人Berufsmensch〉の倫理に求め,それがプロテスタンティズムの〈世俗内禁欲innerweltliche Askese〉に由来することをつきとめる。宗教が資本主義を成立させたというこの見解は,宗教を迷信や呪術と同一視する19世紀的合理主義にとって頂門の一針であった。宗教は合理化の強力な推進力である。職業人が作りあげるのは〈合理的経済〉である。ここには資本主義ばかりではなく社会主義も含まれる。大切なのは二体制間の相違より経済の合理化という共通性である。
宗教と経済に新しい見方を開いた彼は,それ以降,中国,インド,古代ユダヤの比較文化的研究を続けた。その成果である《儒教と道教》《ヒンドゥー教と仏教》《古代ユダヤ教》は《世界宗教の経済倫理》(1915-20)としてまとめられ,《宗教社会学論集》に収められている。政治もまた合理化の推進力である。このことは,若いころから終始一貫して熱烈なナショナリストであった彼には自明の前提であった。彼は政治体制のエートスに注目して,合法性とカリスマ性という対立を引き出す。合理化の進展にともない〈官僚制〉という合法的支配類型が肥大化し,社会と人間をすみずみまで管理しつくす。官僚制の圧制に抗して人間の自発性を確保する視点から,彼は合法性とカリスマ性をあわせもつ〈人民投票指導者民主制plebiszitäre Führerdemokratie〉の現代的意義を強調した(《職業としての政治》1919)。伝記に妻マリアンネ・ウェーバー著《マックス・ウェーバー》がある。
日本ではウェーバーはマルクスに対する平衡力と位置づけられ,〈ウェーバーとマルクス〉という独特の視角から問題にされてきた。戦前のマルクス主義が学問の領域で,普遍的歴史法則と絶対知の発見という教義体系を作り出す方向へと強く作用したのに対して,それとの鋭い内的な緊張関係を通して,ウェーバーに学びつつ社会的経験の意識化のあり方と科学の〈仮説性〉とを結合させ,科学的記述と〈価値〉を峻別することによって,戦中から戦後にかけて日本の社会科学を建設した人々が存在する。政治学の丸山真男,経済史の大塚久雄,法社会学の川島武宜といった人々がその代表的な例で,おのおのの個別研究の対象と具体的な成果の相違を超えて共通するのは,日本の近代社会における科学的認識とその方法的自覚の重要性についての強烈な意識であったといえよう。〈理念型〉〈価値自由〉〈実践意欲の禁欲〉に深く学びながら,いずれも〈ウェーバー研究〉という方向をとらず,日本社会の実証的,内在的〈批判〉や,その〈鏡〉としての西洋経済史研究を試み,経験科学が思想形成力の拠点となりうることを示した。
経済が高度成長をとげた60年代は,学問の技術化・専門化が急激に進行した。社会諸科学の極端な細分化と合理化は,現代における人間と社会の危機の一端を示すものといえよう。ウェーバーの〈合理化〉論の再検討は,その意味で,現代社会科学の緊急の課題であるといえる。
執筆者:厚東 洋輔
ドイツの作曲家。幼少より父の率いる巡業劇団とともにドイツ,オーストリアの全域にわたる旅に出,その旅先の各地で音楽教育を受け,ザルツブルクではM.ハイドン,ウィーンではG.J.フォーグラーに師事した。17歳で一本立ちしてからは,ブロツワフ,プラハ,ドレスデンの各歌劇場の指揮者を歴任したが,その活動の場の中心はつねに歌劇場であった。ウェーバーは本質的に劇音楽家だといわれるが,こうした劇音楽家となりえたのも,旅を通じ若くして人生のさまざまな局面に触れ,さらにつねに舞台と接触していたことが,最大の原因といえよう。
ウェーバーはさまざまの種類の音楽を書いているが,そのすべての領域で同じような才能を発揮しているとはいえない。頂点に位置しているのは歌劇であり,宗教音楽,室内楽,歌曲などは今日ほとんど顧みられることもない。歌劇の創作は10代のはじめに開始され,その数は10曲にのぼるが,代表作は《魔弾の射手》(1820),《オイリアンテ》(1823),《オベロン》(1826)の3曲であろう。とくに《魔弾の射手》はあらゆる歌劇の中で最もドイツ的ともいわれ,ドイツ・ロマン派歌劇を確立した画期的な作品である。
ウェーバーの音楽における〈ロマン的なもの〉は,ノバーリスやアイヒェンドルフ,あるいはシューベルトやシューマンのものと同質ではない。それは内面化,沈潜とは無縁であり,また根底から湧出する神秘的なものでもない。なによりも劇的効果に基づいたものである。この要素は,もちろん劇音楽において十分に発揮されているが,器楽をも支配している。器楽の中心を占めているのは,彼が当時最大のピアノ演奏家であっただけに,変奏曲,ソナタ,ロンド,ポロネーズ,協奏曲などのピアノ音楽であるが,これらの作品に目だっている特色は,《舞踏への勧誘》(1819)にみられるような劇場的効果に基づいた〈光彩を放つような性格〉〈技巧の要素〉である。
執筆者:国安 洋
ドイツの物理学者。ウィッテンベルクの生れ。1820年からハレ大学で数学を学び,ライプチヒ大学教授の兄エルンストErnst Heinrich Weberとの共著《実験波動学》(1825)を皮切りに音響学に関する論文を次々に発表,それらが認められ28年ハレ大学員外教授,31年にはC.F.ガウスの推薦でゲッティンゲン大学物理学教授に任命された。後に地磁気に関してガウスと共同研究を展開し,ゲッティンゲンに地磁気観測所を設立したのをはじめ国際磁気連盟を創設,《磁気連盟観測結果》全6巻を公刊した。また33年以後ガウスとともに電磁式電信機を組み立て,9000フィート離れた送・受信実験を行った。電磁気学に関しては,電磁誘導の現象も説明できる形式で電流間の相互作用の法則(ウェーバーの法則)を発表(1846)。またR.H.コールラウシュとともに電流の強さの静電単位と電磁単位との比が真空中の光速度とほぼ一致することを実験で証明(1856),電磁気諸量の絶対単位系の導入を提唱した。なお,彼は37年にはハノーファーの憲法廃止に対しての抗議声明に署名したため,他の6名の教授とともにゲッティンゲン大学を追われ,一時ライプチヒ大学教授であったが,49年に復職した。
執筆者:宮下 晋吉
国際単位系(SI)における磁束の単位。ドイツの物理学者W.E.ウェーバーにちなんで名付けられ,記号はWb。ウェーバーは,1回巻きの閉回路と鎖交する磁束が一様に減少して,1秒後に消滅するときに,その閉回路に1Vの起電力を生じさせる磁束と定義される。したがって1Wb=1V・s。また磁束のCGS電磁単位マクスウェル(記号Mx)の108倍に相当する。
執筆者:平山 宏之
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19世紀末から20世紀初めにかけて活躍したドイツの偉大な社会科学者。該博な知識と透徹した分析力によって、法学、政治学、経済学、社会学、宗教学、歴史学などの分野で傑出した業績を残し、また鋭い現実感覚によって当時のドイツの後れた社会と政治を批判して、その近代化に尽力した。
[濱嶋 朗]
富裕な亜麻布(あまふ)商人の家系を引く国民自由党代議士を父とし、敬虔(けいけん)なピューリタンを母として、1864年4月21日にエルフルトに生まれる。長じてハイデルベルク、ベルリン、ゲッティンゲンの各大学で法律、経済、哲学、歴史を学んだ。卒業後、一時司法官試補として裁判所に勤務したが、学究生活に入り、1892年ベルリン大学でローマ法、商法を講じ、のちにフライブルク(1894)、ハイデルベルク(1897)各大学の国民経済学教授を歴任した。学位論文『中世商事会社史論』(1889)をはじめ、ベルリン大学教授資格論文『ローマ農業史』(1891)、フライブルク大学教授就任講演『国民国家と経済政策』(1895)などが、当時のおもな業績としてあげられる。
初期の問題関心は、ドイツ国民国家をロシアのツァーリズムおよびイギリス、フランスの帝国主義から守り、そのブルジョア的近代化を推進することに置かれた。この立場から、彼は社会政策学会や福音(ふくいん)派社会会議に属しつつ、半封建的、保守的なユンカー(貴族的領主)支配と急進的な社会主義運動という左右両勢力に抗して、市民層を中核とする中道勢力の結集に腐心した。東エルベの農業労働者の状態に関する一連の調査(1892~1894)で資本主義の圧力によるユンカー経営の崩壊、ユンカーへの隷属からの解放を求める農業労働者の西部への移動、それにかわるポーランド人の進出と東からの脅威の増大を説き、対策を論じたほか、『国民国家と経済政策』では、国民的権力利害に奉仕すべき経済政策の課題を論じ、経済的に上昇しつつあった市民層の政治的成熟を可能とするような政治教育の必要性を力説した。
しかし、ハイデルベルク大学に在任中より強度の神経疾患を患い、研究と教育を断念して、ヨーロッパ各地で闘病生活を送った。1902年ころからしだいに健康を取り戻し、研究活動を再開したが、教職を辞して自由な在野の研究者として学問研究に専念し、1904年以降『社会科学・社会政策雑誌』編集のかたわら、これに多くの重要な論文を寄稿。社会科学方法論の基礎を確立した『社会科学的および社会政策的認識の客観性』(1904)や、歴史の形成・変革に際して果たす理念の重要な役割を論じて唯物史観を批判した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』(1904~1905)などがそれである。また1909年にはドイツ社会学会の創立にあずかり、同年から叢書(そうしょ)『社会経済学綱要』の編集にあたり、自らもその第3巻として大著『経済と社会』(1921~1922)を書いた。これはウェーバーの学問体系の総括とみなされる。
なお、晩年に至るまで現実政治への関心も強く、第一次世界大戦中には無謀な潜水艦作戦やプロイセンの三級選挙法に反対し、戦後にはドイツ民主党の結成に参画して、選挙戦では社会主義批判の論陣を張り、また憲法作成委員会に加わったのち、1919年ベルサイユ講和会議に専門委員として出席し、戦争責任追及の論拠を批判した。他方、1918年にはウィーン大学、翌1919年にはミュンヘン大学の教授となり、学生のために学問や政治の意義を諭す講演を行ったが、1920年6月14日、肺炎のため急逝した。
[濱嶋 朗]
ウェーバーの業績は社会科学のあらゆる分野にわたるが、とくに注目されるのは、価値自由の精神と理念型操作に支えられた社会科学方法論の確立、宗教的理念やエートスの歴史形成力を視野のもとに置く唯物史観批判、近代西欧世界を貫く合理化と官僚制的支配の今日的意義の指摘などである。
(1)方法論に関しては、価値理念や価値判断を鮮明にすることによって、かえってこれを自覚的に統制し、客観的な認識に到達することができるとして、事実認識と価値判断の峻別(しゅんべつ)、価値の相対化の必要を唱え、価値自由を主張した。価値への関係づけと価値からの自由という一見矛盾した研究態度は、理念型的論理操作に媒介されて、客観的な認識を可能にする。理念型とは、ある一定の鮮明な価値観点から実在のある側面をとらえ、これを首尾一貫した一義的連関にまとめあげた思惟(しい)的構成物であり、これと実在とのずれを測定、比較し、客観的可能性判断と適合的因果帰属という操作を介して実在を思惟的に整序し、社会科学的認識の客観性を保証するという働きをする。
(2)『世界宗教の経済倫理』に関する一連の宗教社会学的研究(1915~1919)においては、経済のもつ基本的な重要性は認めつつも、その一義的規定性を否定し、むしろ行為主体(とくに社会層)の置かれた外的・内的利害状況と宗教上の理念(倫理・エートス・生活態度)とが相即したときに、この理念が人間を内側から変革し、ひいては外部秩序をも変えていくことを力説し、歴史の変革力を経済よりもむしろ理念に求める方向を鮮明にした。
(3)政治権力の比較制度的研究(支配社会学)においては、有名な支配の三類型(カリスマ的・伝統的・合法的支配)を区別し、カリスマによる伝統的秩序の変革、カリスマの日常化によるその伝統的支配への埋没、とくに近代社会の宿命的状況としての官僚制的合理化による機械的化石化とマス化を明らかにし、それが社会主義社会にもいっそう強化された形で持ち越されざるをえないことを強調した。
以上のようなウェーバーの学説は、その後の社会科学に広範な影響を及ぼし、価値自由、理念型的把握、理解的方法に基づく学問論は、ドイツ歴史学派ばかりでなくマルクス主義批判の根拠とされた。他方でその行為論や官僚制論、宗教社会学的研究は、マルクス理論を補完する意味合いをももつ点で、今日なお積極的な意義を失っていない。
[濱嶋 朗]
『マリアンネ・ウェーバー著、大久保和郎訳『マックス・ウェーバー』Ⅰ・Ⅱ(1963、1965/新装版・1987・みすず書房)』▽『大塚久雄他著『マックス・ヴェーバー研究』(1965・岩波書店)』▽『R・ベンディクス著、折原浩訳『マックス・ウェーバー その学問の全体像』(1966・中央公論社/改題『マックス・ウェーバー――その学問の包括的一肖像』上下・1987、1988・三一書房)』▽『E・バウムガルテン著、生松敬三訳『マックス・ヴェーバー 人と業績』(1971・福村出版)』▽『濱嶋朗著『ウェーバーと社会主義』(1980・有斐閣)』
アメリカの写真家。ペンシルベニア州グリーンズバーグ生まれ。オハイオ州デニソン大学で美術と舞台芸術を修め、1960年代にニューヨーク大学へ移り、映画製作を学ぶ。ニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(学問の自由を求める研究者によって1918年にニューヨークで設立された教育機関)で写真家リゼット・モデルの授業を受けたことで写真と出会い、同じくモデルに師事した写真家ダイアン・アーバスとも親交を結ぶ。1973年、業界誌『メンズ・ウェア』Men's Wearの写真を撮りはじめたことで、プロのファッション写真家としてのキャリアをスタートさせ、ボストンのメーカーに依頼されたカタログが広告写真の年度賞を受賞したことで認知されると、カルバン・クラインやラルフ・ローレンといったアメリカを代表するファッション・デザイナーからの仕事が舞い込むようになった。以降1980年1月号のイギリス版『ボーグ』誌に初めて作品が掲載されたのをはじめ、さまざまなファッション誌のグラビアを飾るとともに、愛犬を写した『ベア・ポンド』Bear Pond(1990)など、秀逸な写真集を発表しつづけている。そんな彼の人気を決定づけたのは、1980年代に開始されたカルバン・クラインの一連の広告キャンペーンだ。特に1982年水泳で鍛えられたギリシア彫刻のような素人をモデルに起用した男性下着の広告は衝撃的で、ウェーバーは一躍時代の寵児となった。
ウェーバーは、1980年代初期から世界でもっとも多忙で、有名なファッション写真家として活躍してきた。その代表的な作品は、写真集『ブルース・ウェーバー』Bruce Weber(1983)や『ジ・アンディ・ブック』The Andy Book(1987)に見られるような若く美しい、白人アメリカ青年のヌードであり、その肉体が放つ透明感のある無垢さと内からにじみ出る官能性は、男性、女性を問わず引きつけたのである。『オ・リオ・デ・ジャネイロ』O Rio de Janeiro(1986)などこうした初期の写真集は現在も非常に人気が高い。ウェーバー自身、学生時代にモデルを経験したことが、彼の得意とするモデル・セレクションとキャスティングのベースにある。
ウェーバーの写真は、マイナー・ホワイト、ジョージ・プラット・ラインズGeorge Platt Lynes(1907―1955)らの撮った従来のメール・ヌードがもち合わせていたゲイの雰囲気を払拭(ふっしょく)し、フェミニズムやゲイが社会的に受容される時代の空気と相まって広く親しまれるようになった。また彼の成功は、クライアントの制約に縛られず写真家が自らコンセプトを打ちだすというように、ファッション写真のあり方そのものをも変化させたといえる。加えて87年にはアメリカ人アーティストのファイン・アートを集めたホイットニー美術館(ニューヨーク)のビエンナーレ展の出品作家にも選出され、アーティストの仲間入りを果たした。また、映画製作にも取り組んでおり、敬愛するジャズ・トランペッター、チェット・ベーカーChet Baker(1929―1988)を取材した記録映画『レッツ・ゲット・ロスト』Let's Get Lost(1988)は、アカデミー最優秀ドキュメンタリー賞にもノミネートされた。2001年には、若きレスラーでモデルのピーター・ジョンソンPeter Johnsonが少年から青年へと変化する過程を4年の歳月をかけて撮影した『チャプスイ』Chop Sueyが公開され、そのほか名優ロバート・ミッチャムRobert Mitchum(1917―1997)の全編インタビューによる記録映画が用意されている。
[中村浩美]
『Bruce Weber (1983, Twelvetrees Press, Los Angeles)』▽『O Rio de Janeiro; A Photographic Journal (1986, Knopf, New York)』▽『The Andy Book (1987, Doeisha, Tokyo)』▽『Bear Pond (1990, Bulfinch Press, New York)』▽『Hotel Room with a View (1992, Smithsonian Institution Press, Washington/London)』▽『The Chop Suey Club (1999, Arena Editions, Santa Fe)』
ドイツの物理学者。電磁気学の形成期に活躍した。ウィッテンベルクの生まれ。1822年ハレ大学に入学、シュワイガーに師事し、学位論文(1826)、教師資格論文(1827)ともリード・オルガンの音響学に関してまとめた。1828年ハレ大学講師、同年、ベルリンでの学会でA・フンボルトとガウスに認められ、1831年ゲッティンゲン大学物理学教授となり、以後ガウスと共同研究を行った。ガウスのおもな関心は磁気の絶対単位(磁気の強さの長さ、時間、質量による表現)を求めることにあった。二人はゲッティンゲン磁気協会を創設し、ウェーバーはさまざまな計測装置を開発し、全国の地磁気を示す地図をつくった。また電流の絶対単位の測定にも着手した。
1837年、ハノーバーの元首による大学の自由の侵害に反対して大学を追放されたが、1843年ライプツィヒ大学物理学教授となり、新しく開発したダイナモメーターにより、電流相互の力をアンペールよりも詳しく測定し、1846年には2本の導線中を運動する電荷の間に働く力の表現として次の式を提出した。
彼は正・負2種類の電荷の反対向きの流れを電流だと考える。第1項はクーロン力を表すが、第2項以下に電荷間の相対速度、加速度に依存する項を導入することによって、電流の相互作用力、電磁誘導の力を求めることができる。この式がエネルギー保存則を満たすか否かをめぐって、1847年以降ヘルムホルツと長期間の論争となった。
1849年ゲッティンゲン大学に復帰、コールラウシュRudolf Hermann Kohlrausch(1809―1858)との共同で前記式の定数c(電磁単位と静電単位の比)の決定、反磁性の研究などに着手した。結果的にはcは光の速度に比例する量であることがわかったが、当時、特別に注目はされなかった。また反磁性の原因については、個々の分子の周りの電流によって物質の磁性が決定されるというアンペールの分子電流のモデルを用いた。ゲッティンゲン時代の後半は、電気伝導や熱伝導などのさまざまな物性を電気粒子の運動によって理解しようとし、19世紀後半の電子論の先駆けとなった。
ウェーバーの電磁気学はマクスウェルの場の理論に結局は駆逐されたが、電磁気学形成期における測定装置の向上と客観的な単位の設定に果たした役割は大きい。
[高山 進]
ドイツの経済学者、社会学者。マックス・ウェーバーの弟。エルフルトに生まれる。ボン、ベルリン、チュービンゲン大学で法学、経済学を修め、ベルリン大学講師(1899)、プラハのドイツ大学教授(1904~1907)、ハイデルベルク大学教授(1907~1933)を歴任。第二次世界大戦中ナチスに追われたが、戦後ハイデルベルク大学名誉教授として復活。初め産業立地論を専攻したが、のちに社会学研究に転じた。ジンメルらの形式社会学を批判し、歴史的世界を社会過程、文明過程、文化運動の3層に区分し、それらの多様な相互連関に即して社会の布置構成を歴史主義的にとらえようとする文化社会学あるいは歴史社会学を提唱した。晩年はこうした立場からさらにヨーロッパ文明の黄昏(たそがれ)を論じ、生そのものを問う歴史哲学への傾斜を深めた。主著に『国家社会学および文化社会学への意見』Ideen zur Staats- und Kultursoziologie(1927)、『文化史としての文化社会学』Kulturgeschichte als Kultursoziologie(1935)、『歴史社会学および文化社会学の原理』Prinzipien der Geschichts- und Kultursoziologie(1951)などがある。
[原直樹]
ドイツの解剖学者、生理学者。ウィッテンベルクの生まれ。同地の大学で医学を修め、1815年卒業。1818年ライプツィヒ大学教授となり、初め解剖学を、のちに生理学を講じた。
末弟エドゥアルト・フリードリッヒ・ウィルヘルム・ウェーバーとの物理学的方法に基づく共同研究は有名で、脈拍を支配する神経刺激の実験的研究の先駆となった。とくに関心を注いだのは皮膚感覚で、1846年に発表した『触覚と一般感覚』は実験心理学と生理学の基礎をなしたものとして知られ、刺激の強さと識別域との関係(ウェーバーの法則)を説いた。物理学者ウィルヘルム・エドゥアルト・ウェーバーは次弟である。
[大鳥蘭三郎]
ドイツの解剖学者、生理学者。ウィッテンベルクに生まれ、ハレ大学で医学を修め、1829年卒業。一時開業したが、1836年ライプツィヒ大学解剖執刀者となり、1847年同大学助教授となった。長兄エルンスト・ハインリヒ・ウェーバーとともに研究を行い、1825年に「波動説」を発表して脈波の速度を測定し、ビシャの「脈拍はどの動脈中でも同時である」との説に反論した。1845年には迷走神経に心臓の運動を抑制する作用があることを発見した。次兄ウィルヘルム・エドゥアルト・ウェーバーは電磁気学の開拓者である。
[大鳥蘭三郎 2018年6月19日]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ドイツの社会学者・経済学者。エアフルトに生まれ,ハイデルベルク大学,ベルリン大学(現,ベルリン・フンボルト大学),ゲッティンゲン大学で法律学,経済学,歴史学等を学ぶ。1889年に「中世商事会社史」で博士の学位を取得。1894年フライブルク大学教授,97年ハイデルベルク大学教授となるが,1903年に病気のため大学を退く。1919年にミュンヘン大学教授に就任するが,翌年死去。ウェーバーの研究は大きく二つに分かれる。一つは宗教社会学の研究で,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)に代表され,資本主義の精神はカルヴィニズムにより禁欲的プロテスタンティズムの宗教倫理に遡ると考えた。もう一つは社会集団の分析に焦点を当てた研究であり,『経済と社会』(遺稿)にまとめられている。この中の「支配の社会学」では,大学の卒業証書が特権層の形成を助長しているとした。また1917年の講演をまとめた『職業としての学問』では,混沌の時代の中で新しい生き方を求める若者に向けて大学論を展開し,ドイツの大学は学問的な訓練を行うべきと主張した。
著者: 田中達也
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
(武田薫 スポーツライター / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…しかし,われわれはウィーン古典派の純粋器楽のうちに,シュッツやバッハが開拓したドイツ的音楽語法が生きていること,そしてまたこのドイツ音楽とドイツ語の深い内的結びつきが,シューベルトに始まり,ロマン派の時代に展開するドイツ・リートの世界を支えていることを忘れてはならない。さらに従来最もおくれていた分野であるオペラが,モーツァルトのイタリア・オペラやドイツ語のジングシュピールにおいて開花し,やがてウェーバーのロマン主義的ドイツ国民オペラの確立を促し,ついには19世紀後半のR.ワーグナーの楽劇にまで達するのを見る。他方R.シューマン,メンデルスゾーン,ブラームス,R.シュトラウス,ブルックナー,マーラーらの音楽が,それぞれの個性をもちながらも,それらがドイツ音楽であるのは,それらの根底に,中世のゲルマン精神やドイツ民謡の世界への憧憬をひそませるドイツ・ロマン主義が支配しているからである。…
…C.M.vonウェーバーが1820年に作曲した全3幕のオペラ。台本はキントJohann Friedrich Kind(1768‐1843)による。…
…世紀後半には他の諸国の貢献も強まる。おもな大作曲家を挙げれば,ベートーベンとシューベルトを視野におさめながら,C.M.vonウェーバー,メンデルスゾーン,シューマン,ショパン,ベルリオーズ,リスト,R.ワーグナーらが代表的存在である。ベートーベンとシューベルトはロマン的要素を有しながら,全体としては古典派に入れられる。…
…冷静さと情熱,理性と情念,合理と非合理,といった異質な要素の何らかの結合によって生み出された行為への一定の傾向性。エートスを,人間と社会の相互規定性をとらえる戦略概念として最初に用いたのはアリストテレスであり,社会認識の基軸として再びとらえたのがM.ウェーバーである。ウェーバーによれば,この行為性向は次の三つの性質をあわせもつ。…
…しかし新中間層の位置づけについては諸説まちまちで,新中間層は本質的には労働者であるとする見解,新中間層は本質的には支配階級の補助者であるとする見解,新中間層はもともと支配階級と労働者という二つの異質な部分に分解するはずのものだという見解,新中間層はブルジョアジーとプロレタリアートの懸橋として両者の対立をやわらげる安定勢力であるとする見解,などが併存しているのが実情である。
[多元的階級論]
M.ウェーバーは,サン・シモンやマルクスのような19世紀の諸学説の一元的指標による階級区分に代えて,複合的指標による多元的階級区分を提起した。彼はその大著《経済と社会》(1921‐22)の中で,社会の不平等状態に関する区分として階級と身分の二つをあげ,さらに階級に関する区分を二つに分けて(1)財産の相違による区分(財産階級),(2)市場利用の機会による区分(営利階級),とし,また身分に関する区分を三つに分けて(1)生活様式による区分,(2)教育による区分,(3)職業の威信による区分,とした。…
…(2)政治的支配としての家父長制 家父長制家族は,一方では,〈父と子〉の特殊なあり方を内包することによって,政治的支配のための正当性原理をつくりだす。〈家族国家〉理念とよばれるものがその典型である(M.ウェーバーはとくに(1)と区別して〈家産制Patrimonialismus〉とよぶ)。家父長制家族における結合の根本は,血縁性ではなく,家父長権patria potestasという権力である。…
…この考えは,神をその形態性や属性によって規定しようとする行き方に対して,人間の心理的な感受性や主体的な意識にもとづいて神的存在の象徴性や実在性を証明しようとするのである。最後に第4として,神的存在を高次の神と低次の精霊の2種に分類し,その両者と人間とのダイナミックな関係に照準をあてて神信仰のメカニズムを類型化する試みが挙げられる(M.ウェーバー)。すなわち前者は,神の前に人間が拝跪して礼拝する〈神奉仕Gottes‐dienst〉の型であり,後者は人間が精霊に呼びかけてその加護を要求する〈精霊強制Geistes‐zwang〉の型である。…
…もともとカリスマは,宇宙に遍在する神秘的・超自然的な非人格的威力を指すマナmanaというメラネシア原住民の観念や,É.デュルケーム以来の宗教学的な〈聖〉の概念とも,内容的に共通する点の多い概念であった。それに対して,カリスマという用語を宗教に限定せずより広い意味で使用し,支配の正当性の一類型を説明する分析概念として理論化したのはM.ウェーバーである。ウェーバーは合法的支配,伝統的支配に対比される第三の支配の型としてカリスマ的支配という概念を提起した。…
…ただ,それが好ましからぬことばとして用いられている点には変りがなかった。だが,このような用語法はM.ウェーバーの出現で一変する。はじめに提示した理解の仕方は,基本的にこのウェーバーの官僚制論に負っているのである。…
…荒野をさまようイエスやシナイ山上のモーセ,インドのヨーガ行者や中国・日本の山中修行者たちなど,その例は多い。ついで合理的な生活行動との関係でいえば,M.ウェーバーの禁欲論が知られている。彼によればヨーロッパの近代資本主義は,世俗的な経済営利活動が禁欲倫理(プロテスタンティズム)の洗礼をうけてできあがったものだという。…
…経済史の研究は,多かれ少なかれ,このマルクスの経済学(〈経済学批判〉)と唯物史観の影響をうけ,またこれとの緊張意識のなかで,本格的にすすめられてきた。
[ウェーバー]
マルクスと対比される社会科学の巨匠M.ウェーバーも,世界史の流れのなかに,事実上マルクスと近似した〈古代オリエントの純粋家産制国家→古典古代の奴隷制都市国家→中世の封建制国家→近代西欧の合理的国家(資本主義)〉という発展の系統を指摘した。ウェーバーは,〈理念と利害状況の社会学〉といわれる立場にふさわしく,経済社会のこの合理化過程を,人間類型の問題を含めて複眼的に究明した。…
…《宗教社会学論集Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie》とならぶM.ウェーバーの主著の一つ。彼が編集した《社会経済学講座Grundriss der Sozialökonomik》の基礎理論をなす1巻として構想されたが,生前に完成せず,遺稿が彼のプランに即して整理・編集され,1922年にようやく公刊された。…
…ひとつは上記のような集団間の交換に着目し,交換は人間の集団(共同体あるいは種族)が他の集団と関係をとり結ぶとき,利己心あるいは経済計算に導かれてつくりあげる関係の一様式であるととらえる。この立場を代表するのはM.ウェーバーであり,表現は異なるがK.マルクスが商品の交換過程を論じるさいに示している理解も同趣旨のものである(《資本論》1編2章)。いまひとつの立場はA.スミスによって代表される。…
…西欧世界にはじめて出現したこの歴史的趨勢は近代社会の本質を形作るばかりではなく,今や人類全体の共通の運命となる。こうした用法を確立したのがM.ウェーバーである。彼によれば合理化が出現する以前の人間は〈呪術〉を用いて周囲の世界に適応していた。…
…こうした自発性は,慣習,利害関心,あるいは何らかの信念に基づくのが普通であるが,これらの動機もそれだけでは支配の安定した基礎にはなりえない。M.ウェーバーによれば,〈むしろ,すべての支配は,その正当性に対する信仰を喚起し,それを育成しようと努めている〉のである。こうした支配の正当性の根拠として,ウェーバーは,伝統的支配,カリスマ的支配,合法的支配の3類型をあげた。…
…経済的合理主義の貫徹が必要となる。M.ウェーバーは,近代資本主義の特徴としてこの合理主義的経営の側面を強調した。彼によると,資本主義の経営組織の特色は,強制でない自由な労働,家計と経営の分離による経営の独立性,合理的簿記による精密な資本計算,経営者の指揮・監督のもとに分業化された労働を効率よく遂行する協働組織にある。…
…そして前者を機械的連帯の社会,後者を有機的連帯の社会と名づけて,その間の変動が人口増大の圧力によっておこるとみた。またM.ウェーバーが世界史の合理化という視点から社会変動論を唱えたことは有名である。このような2極間の変動論と社会進化論とが結びつくと,社会が構造分化と統合を通じて変動するという見解が出てくる。…
… これに対して第2に,さまざまな宗教における開祖の人格や思想,および教義や儀礼や制度を相互に比較し,それによってそれぞれの宗教にみられる共通性と特異性を明らかにしようとする比較宗教学的な試みがF.M.ミュラーによって創始された。それ以後,世界の諸宗教を比較の視点から客観的に記述し類型化する気運が生ずるようになったが,この方面で最大の成果をもたらしたのがM.ウェーバーである。ウェーバーは,宗教の生成発展を社会の階層や政治・経済的な利害に連関させて考えた点でマルクスと共通していたが,ひろく世界の諸宗教をその内面から比較しつつ類型化を試みた点ではミュラーの方法を継承したということができる。…
…スミスはアラビア調査旅行の体験を踏まえて聖書文献学を行った(《セム族の宗教》1889)。 É.デュルケームとM.ウェーバーは宗教社会学を確立した。両者は同時代に活躍したにもかかわらず,相互の交渉,影響は見当たらない。…
…1919年初頭に行われた講演をもとにして同年10月に出版されたM.ウェーバー最晩年の著作。彼は,現代において政治を職業に選ぶ者が考慮すべき外的条件として,大衆民主化に起因する政党の官僚制化と指導者選出の〈人民投票的形態plebiszitäre Form〉の発展をあげ,また内的条件として暴力性をはらむ政治の世界における〈責任倫理Verantwortungsethik〉と〈心情倫理Gesinnungsethik〉との深刻な対立をあげる。…
…そのとき,決定作成者や機関は,一般に,集団や社会に対して政治的権威を樹立したという(権威)。 政治的権威の成立の核になっているのは,M.ウェーバーによれば,決定作成者や機関が正統(当)性Legitimitätを獲得することである。その社会に一般的な社会倫理(エートス)を背景にして,支配者の決定に従うのが正しいという観念がいきわたるとき,支配者は正統化されたといわれる。…
…K.マンハイムは,こういうマルクス的なイデオロギー概念を拡張して,政治意識を所属集団や階層あるいは職業などの生活的利害によって一般に拘束されたものとして,知識社会学的分析の手法をひらいた。 これに対し,M.ウェーバーは,政治意識を,むしろそれぞれの歴史社会に固有なエートス(社会倫理)によって規定されたものとしてとらえ,それを民族的な文化伝統やエートスの歴史的発展に即して解釈する方向を築いた。エートスの核になるのは,経済的利害を超越した宗教的理念であり,宇宙解釈(コスモロジー)である。…
…マルクスは政治が経済的な下部構造によって規定された上部構造であり,制度論が市民階級のイデオロギーでしかないと批判して,政治における構造論やイデオロギー論への道を開いた。M.ウェーバーは,政治がその民族社会のエートス(社会倫理)によって規定されていることを分析して,政治文化論や政治人類学の基礎をつくった。またS.フロイトは,意識下の世界の力学が,人間をつき動かし,非合理的な行動をとらせるという解釈を提出し,政治意識論や政治心理学の勃興を促した。…
…19世紀末,ウェルハウゼンは,文献資料を発展史観によって並べかえてイスラエル宗教史として再構成し,旧約学の祖となったが,そのころから数多く発見された資料に照らし,環境世界と旧約聖書との有機的把握を主張した宗教史学派(代表H.グンケル)が20世紀初頭より主流を成した。M.ウェーバーの《古代ユダヤ教》は社会学的構造連関を明らかにし,ラートGerhard von Rad(1901‐71)の《旧約聖書神学》と《イスラエルの知恵》は,イスラエル的思考の特質をまとめ,その後の学的討論の踏台を成した。【左近 淑】
[新約聖書学]
その内容を概観すると,まず新約聖書の言語の研究がある。…
…こうした意欲や同意を調達してくれるのが,支配を正当なものとして受け入れさせる根拠としての正当性である。M.ウェーバーは正当的支配の3類型として伝統的支配,カリスマ的支配,合法的支配をあげたが,これらは支配秩序が正当であるとする人々の信念の類型による区別であって,支配秩序そのものの規範的評価を表すものではない。たとえば合法的支配の正当性にしても,それは法的手続を踏んだ支配を正当なものとみなすということであって,支配秩序そのものの実質的な正当性を保証するわけではない。…
…この憲法は,国民(ナシオン)の主権をうたいつつ,国王と立法議会を代表者としていたが,そのことにも示されるように,上記の二つの要素のうち,もっぱら(1)の要素こそがここでの代表の核心であり,(2)の要素は意識的に否定されていた。それゆえ,選挙による議員にしても,〈選挙人たちによって選挙された主人Herrであって,彼らのしもべではない〉(M.ウェーバー),〈国民に対する議会の独立宣言〉(H.ケルゼン)といういい方が,ここではあてはまった。それに対し,19世紀に男子普通選挙制が成立してくる段階となると,そこで語られる代表は,(2)の要素をも含むものとなってくる。…
…(2)このような日常生活を裏打ちする〈聖/俗〉〈ケガレ/ハレ〉の論理を介して人類が確保してきた生=時間の意味づけ,共同体=空間の表象を,近代世界はその〈合理化〉の過程をとおして徐々に喪失してきたといえよう。17世紀ころの西ヨーロッパを中心とする資本主義的精神の誕生を論じたM.ウェーバーによれば,当時における資本主義勃興の引き金となったのは,勤勉,節約を旨とする人々の禁欲的な日常生活の組織化であるが,これは元来,救済が不可知であるとするプロテスタント(とくにカルバン派)の教義から生じた宗教的態度であった。しかし,この宗教的態度がそのまま資本主義の精神(エートス)であるわけではない。…
…そこでは,聖職者たちの単なる職能的な序列づけられた組織が形成されたばかりでなく,この地上の経済・政治・文化・社会・自然のいっさいが一元的な信仰世界としてヒエラルヒー的に秩序づけられ,この世界を維持・発展するための支配の仕組みが成り立っていたのであった。 今日では,この言葉は上述のような価値原理と切り離され,たとえば官僚制,軍隊,企業,政党,組合などの活動を合理的に編成していくための分業的な組織原理,とりわけM.ウェーバーが《経済と社会》(1921‐22)において,近代行政官僚制の巨大組織を説明するのに用いたように,職務上の地位序列および指揮命令系統における上下関係の秩序状態を指すために適用されることが多い。だが,それが単なる機能上の地位分化にとどまらず,権威の体系や支配の手段となりうることも指摘されている。…
…ここには厳格な律法主義を生み出す危険があったが,ピューリタン革命の中から近代憲法の社会的自由や人権や寛容の思想が生み出されたことは注目されねばならない。また,資本主義の形成に果たしたピューリタンの影響を強調したM.ウェーバーの解釈は,多大の論議を呼んだ。ピューリタンの理念はアメリカ文明の基本理念となって生き続け,さらには世界的に広まっていった。…
…この場合の日和見主義は単なる無原則的行動とは異なり,的確な状況認識に立って,目的達成に向けての有効な手段の選択としてなされるものであるから,優に政治理論の考察の対象たりうるものとなる。 M.ウェーバーは,政治家の資質として,状況に対する判断力と責任感を挙げ,さらに,理想への情熱的献身が必ずしもその実現を約束しないという冷厳な事実を指摘して,政治家には,単なる理想の追求という主観的な心情とは別に現実的な結果に対する責任感が必要であることを説いたが,この考え方は,日和見主義的行動を規範的側面から合理化するものとみることができよう。なお,二大勢力の対立下で,立場の一定しない第三者の挙動が日和見主義とされる場合がある。…
… プロテスタンティズムは西洋近代の成立と発展とに歩みを同じくしているので,近代世界と深い関係をもったことは当然である。近代資本主義成立にかかわるプロテスタンティズムとくにカルビニズムないしピューリタニズムの倫理の役割を強調したM.ウェーバーの《プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神》は有名である。また神の前に立つ良心的人格の確立は,近代の個人主義的傾向に大きな影響を及ぼしている。…
…M.ウェーバーの,ある意味では彼を代表するほどの有名な論文。1905年,彼がW.ゾンバルトとともに編集する雑誌《Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitik》に公表され,その後直ちにゾンバルト,L.ブレンターノ,F.ラッハファール,E.トレルチなど多くの学者の間に激しい論争が生じた。…
… ついで資本主義の高度な発展により,法と社会とのギャップが顕在化したとき,自由法論を経由して,法社会学が,法社会学という名の下に自覚的な発展を始めた。第1次大戦前後に現れたE.エールリヒの《法社会学の基礎づけ》(1913)やM.ウェーバーの〈法社会学〉(1921年の《経済と社会》の第7章)がその例である。 さらに1929年の世界恐慌以後,資本主義社会が高度に組織化されるに至ると,社会統制手段としての法の有効性を追求するために,システム分析の方法に基づく法的メカニズムの総体的把握が試みられるに至った。…
…この考え方をさらに発展させたのがガダマーの解釈学的反省である。 これと別にM.ウェーバーは,人間の行為の〈主観的意味〉の了解をめざす了(理)解社会学verstehende Soziologieを構想している。主観的意味とは,心理的な感情ではなく,例えば営利企業における収益性の追求などがそれであり,したがって,それぞれの当事者の心理とは無関係のものである。…
…つまり,父に背いて罪を犯した人間が罰せられ,苦しみ,悔い改め,最後に救われるという当時のピューリタンの伝統にそった〈霊的自伝〉でもある。また,限られた物資のなかで生活を築いていくロビンソンの姿は,後世マルクスやウェーバーらの考察するところともなった。たとえばウェーバーは,ロビンソンの現実的・合理的行動様式に〈資本主義の精神〉に照応する目的合理的思考を読みとっている。…
… 史的唯物論はそれまでもっぱら上部構造の面から考えられていたローマ帝国盛衰論を,社会経済的構造の面からみる新視点を与えた。ローマの繁栄を〈古代資本主義〉とみてその形成条件の消失に没落原因を求めるM.ウェーバー,コロヌス制(コロナトゥス)の成立に古代の終焉をみるウェスターマンW.L.Westermannも社会経済的要因を重視する立場に立つ。3世紀の危機を都市ブルジョアジーと農民大衆の対立としてとらえて経済的没落原因論を拒否したロストフツェフも,その《ローマ帝国社会経済史》における分析では,市場の外延的拡大に伴う属州の生産地化とイタリアの経済的下降が,帝国の社会経済的構造を崩壊させたとしている。…
…同時にそれはヨーロッパ中心主義の崩壊と相対主義の普遍化という,新時代の原理を準備するものだった。そして相対主義はウェーバーによって文化の危機意識として極限化された。彼の思想的営為は伝統的価値が清算される一段階であり,むなしい努力ではあったが,その努力自体がワイマール文化のエートスでありパトスだった。…
※「ウェーバー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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