中国、唐の忠臣。琅邪(ろうや)郡(山東・江蘇(こうそ)省境)の顔氏で、『顔氏家訓』の著者顔之推(しすい)の5代の孫の、書道史上著名な顔真卿(しんけい)の従兄(いとこ)にあたる。天宝(てんぽう)年間(742~756)に安禄山(あんろくざん)の下で営田判官を務め、常山郡(河北省)太守に抜擢(ばってき)された。しかし755年、安禄山が蕃(ばん)・漢の大軍を率いて東北境で唐に反旗を翻すと、彼は顔真卿と呼応して勤王の義兵をあげ、賊の一部将を捕らえて都に送った。のち反軍の史思明(ししめい)に常山城を包囲され、籠城(ろうじょう)となり、勇戦空しく兵糧尽きて賊に捕らえられた。安禄山の前へ引き出された彼は、あくまで禄山の反逆をののしり、ついに殺された。
[池田 温]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…開元22年(734)進士となり,のち,醴泉尉(れいせんい),長安尉,監察御史,殿中侍御史,東都採訪判官,武部員外郎を歴任して753年に平原(山東省陵県)太守に転出。翌々年に安史の乱が起こり,河北・山東各地は安禄山の勢力下に入ったが,顔真卿は従兄の常山(河北省正定)太守顔杲卿(がんこうけい)と連絡をとり,義軍をあげて唐朝のために気を吐いた。756年(至徳1),平原を放棄,翌年,鳳翔(ほうしよう)(陝西省)の粛宗のもとに行き,憲部尚書に任命され,つき従って長安に帰った。…
※「顔杲卿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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