改訂新版 世界大百科事典 「風早八十二」の意味・わかりやすい解説
風早八十二 (かざはややそじ)
生没年:1899-1989(明治32-平成1)
社会政策学者,弁護士。岡山県生れ。東京帝大法学部卒。ヨーロッパ留学を経て1926年九州帝大助教授となったが,28年3月の共産党弾圧事件で職を追われた。その後上京して,産業労働調査所,プロレタリア科学研究所など左翼研究機関で活動。33-35年投獄。戦時体制への移行につれて左翼運動が徹底的に弾圧される状況のなかで人民戦線運動の可能性を見いだそうとし,その足がかりを社会政策に求めた。社会政策の,さらに戦時社会政策の支持を公称しつつ,労働者の自主性の必要を強調した。社会政策学者としての彼の声価を高くした《日本社会政策史》(1937),《労働の理論と政策》(1938)は,この立場からの研究の成果である。40年再び逮捕されたが,戦後出獄,共産党の理論家として活動。共産党から衆議院議員に2回当選,以後,弁護士として砂川事件,松川事件などの弁護を務めた。
執筆者:池田 信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報