飛山城跡(読み)とびやまじようあと

日本歴史地名大系 「飛山城跡」の解説

飛山城跡
とびやまじようあと

[現在地名]宇都宮市竹下町

鬼怒川東岸に突き出した真岡もおか台地最北端に位置し、城の北と西は鬼怒川との比高約二〇メートルの断崖をなす。東と南は平地のため土塁・堀が二重に設けられている。宇都宮と真岡を結ぶ道が城の東側を東西に通り、宇都宮の宇都宮氏と真岡の芳賀氏との関係を考えれば政治的・軍事的要衝を占める。城の規模は東西三三〇メートル・南北四五〇メートルの不整長方形をなす。この内部は東西の堀により南北に二分されている。国指定史跡芳賀高俊が永仁年間(一二九三―九九)築城したとされるが確証はなく、本格的築城はむしろ南北朝期以降と思われる。

延元四年(一三三九)三月二〇日の北畠親房御教書写(結城文書)に「富山」とみえ、南朝方の春日顕国の攻撃によって矢木岡やぎおか(現真岡市)益子ましこ両城が落城したため、箕輪みのわ(現下都賀郡国分寺町)上三川かみのかわ両城を守る桃井貞直は撤退し、支援のため顕国の後方攻撃に出た飛山・宇都宮両勢はかえって敗れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「飛山城跡」の解説

とびやまじょうあと【飛山城跡】


栃木県宇都宮市竹下町にある城跡。市の東郊、鬼怒(きぬ)川左岸の台地にあり、中世に下野国中央部を勢力範囲とした宇都宮氏の家臣、芳賀(清原)氏の居城で、中世の北関東における貴重な城跡として、1977年(昭和52)に国の史跡に指定され、1992年(平成2)に追加指定された。指定地域は南北420m、東西240m、北側と西側は、鬼怒川とその支流がつくる急な断崖で自然の防備をなし、東側と南側は、土塁と空堀を2重に築いている。内側の空堀は、東南隅で幅約15m、深さ約4mの規模をもち、北西側を主郭とし、以下第2郭、第3郭が南北に連なり、各郭は土塁と空堀で区画されている。東側の第2郭と第3郭の連接部に虎口を開いており、ここが大手で、第3郭の南西隅が搦手(からめて)であったと考えられている。JR東北新幹線ほか宇都宮駅から車で約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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