飛行機の搭乗員が着用して,機上でその技量を十分に発揮できるようにくふうされた衣服。航空服ともいう。1903年ライト兄弟が初飛行に成功したが,初期の飛行服装は普通のスポーツ服や軍服であった。1910年代に,当時の自動車運転者が使った風防眼鏡や革製半コート,または工場作業用のオーバーオールズの打合せを深くしたり,革製にして改良したものなど,飛行服らしいものが現れる。第1次世界大戦で飛行機が重要な兵器となると,性能限度いっぱいの操作が要求され,それに応じる飛行服が軍によって開発されるようになった。大気温度は1000m上昇するごとに約6.5度低下し,遮風板だけの機上では強い風圧にさらされる。人体保護のため,飛行服はすきまのないつくりと保温性の高い材質が要求され,革製で毛皮裏の飛行帽・飛行服・飛行靴が作られたが,これは重すぎたので,表を防水布地,裏を毛皮にし,ゴム引布を中入れした飛行服が作られた。狭い座席への出入りと携帯品収納の便宜上,大ポケットをつけたオーバーオールズ,またはジャンパーとズボンの一揃いを採用した国が多い。洋上飛行中の事故に備えたライフ・ジャケットlife jacketは,圧搾空気を入れてふくらますもの,浮力のあるカポックを充てんしたものなどが考案された。
1920年代には冬季寒冷地の飛行用に,電熱服,電熱手袋,頭巾や靴下が作られたが,普通は通常の飛行服の下に着込むように作ってあった。機敏な動作ができるように搭乗服を軽量化することはつねに課題とされ,34年の日本海軍の飛行服は,表地のクレバネットの緯糸を生糸に替え,裏地を富士絹にし,中入れはゴム引布をやめて真綿を和紙にはさんでとじ,襟にはウサギの毛皮を用いた。30年代後半になると軍用機の速度は著しく速くなり,風圧の影響を受けない密閉風防が一般的となった。また飛行高度が高くなったため,酸素不足を補うための酸素マスクが装備され,無線レシーバーの変化につれ飛行帽は部分的に変化し,飛行眼鏡も防曇や防眩がくふうされるようになった。40年代に入ると気圧低下に対処するため与圧室が実用化され,これを装備した大型機では軽装でもすむようになり,いずれ飛行服は不用になると思わせた。しかし,ジェット機が実用化され軍用機の性能が著しく向上するとともに,とくに戦闘機など高運動性軍用機の搭乗員に対しては著しい気圧変動から身体を守る与圧ヘルメットや与圧服,また大きな加速度がかかった状態で血液の脳への循環を保つための耐G服(Gスーツ)などが必要となり,搭乗服は重装備となった。
執筆者:柳生 悦子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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