テヘラン会談(読み)テヘランカイダン

デジタル大辞泉 「テヘラン会談」の意味・読み・例文・類語

テヘラン‐かいだん〔‐クワイダン〕【テヘラン会談】

第二次大戦中の1943年11~12月、米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルソ連首相スターリンテヘランで開いた共同作戦会議。戦争遂行上の協力を図り、また、イラン国の独立決定した。

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精選版 日本国語大辞典 「テヘラン会談」の意味・読み・例文・類語

テヘラン‐かいだん‥クヮイダン【テヘラン会談】

  1. 第二次世界大戦中、一九四三年一一月二八日~一二月一日、アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連首相スターリンがイランの首都テヘランで行なった会談。連合国側の戦争遂行と平和樹立に協力するテヘラン宣言を発表した。

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改訂新版 世界大百科事典 「テヘラン会談」の意味・わかりやすい解説

テヘラン会談 (テヘランかいだん)

1943年11月28日から12月1日にかけてテヘランで開かれた米英ソ巨頭会談。アメリカ大統領F.ローズベルト,イギリス首相チャーチル,ソ連邦人民委員会議議長(首相)スターリンのほか,イーデン・イギリス,モロトフ・ソ連両外相,ローズベルト側近のホプキンズ,および3国の軍指導者らが出席し,米英中3国の首脳が集まったカイロ会談に引きつづいて行われた。テヘラン会談は,第2次世界大戦中,米英ソ3首脳が一堂に会した初の会談であり,連合国側の協力関係と優位を世界に印象づけた。

 会談の直接的な成果は連合国側の作戦の調整にあった。地中海作戦,ビルマ(現,ミャンマー)奪回作戦などといった諸計画の調整に成功し,翌44年5月に北フランス上陸作戦を決行することが了解されたことによって,ここでいわゆる第二戦線問題にいちおう片がついた。なお,スターリンはこのとき,ドイツ降伏後の対日参戦を約している。非公式の接触を含め,会談での議題は多岐にわたり,戦後の世界平和維持機構の枠組みやポーランド国境の確定などについても意見の交換があった。テヘラン会談を転機として,これ以降は連合国間の協議内容の比重が,戦争遂行上の問題から戦後処理の問題へと移っていく。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「テヘラン会談」の意味・わかりやすい解説

テヘラン会談
てへらんかいだん

第二次世界大戦中の1943年11月28日から12月1日にかけて、イランの首都テヘランTeheranで開かれたルーズベルト、チャーチル、スターリンのアメリカ、イギリス、ソ連の三国首脳会談。おもな合意事項は、(1)米英両国がヨーロッパ大陸西部に、いわゆる「第二戦線」を設置する期日は44年5月とする、(2)ユーゴスラビアにおけるチトーパルチザンを援助する、(3)トルコの参戦を勧告する、(4)ソ連は機をみて対日参戦を行う、(5)イランの独立を保障し援助を与える、などであったが、このほか、戦後ドイツの国境と分割について米英側から提案があった。この会談は、スターリングラードの戦い(1942.7~43.1)でソ連が勝利を得て以来、東部戦線でソ連が優勢となり、ドイツの敗戦が予想されるなかで、改めて米英にソ連と軍事的・政治的調整を図る必要が生じたため開かれたものである。

[藤村瞬一]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「テヘラン会談」の解説

テヘラン会談(テヘランかいだん)

第二次世界大戦中,1943年11月28日~12月1日にイランの首都テヘランで,アメリカ大統領ローズヴェルト(フランクリン),イギリス首相チャーチル,ソ連首相スターリンによって行われた会談。3国の協力と戦争遂行の決意,イランの独立と領土保全が声明されたが,中心議題は第二戦線問題で,北フランス上陸作戦を44年5月に実行すべきことが確認され,トルコに対する参戦勧告,ティトーのユーゴ・パルチザンに対する援助などについても同意をみた。またスターリンはローズヴェルトに対日参戦の言質を与えた。

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百科事典マイペディア 「テヘラン会談」の意味・わかりやすい解説

テヘラン会談【テヘランかいだん】

第2次大戦中の1943年11月28日〜12月1日,ローズベルト,チャーチル,スターリンの米英ソ首脳がテヘランで開いた会談。戦争を勝利に導くための3国の協力,イランの独立と領土保全,北フランスに第二戦線を形成することを決定,ソ連は対日宣戦を約した。
→関連項目第2次世界大戦

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旺文社世界史事典 三訂版 「テヘラン会談」の解説

テヘラン会談
テヘランかいだん
Teheran Conference

第二次世界大戦中の1943年11月28日から12月1日まで,アメリカのローズヴェルト,イギリスのチャーチル,ソ連のスターリンがテヘランで行った会議
開戦後最初の3巨頭会議で,3国共同で戦争を遂行すること,イランへの援助,北フランス上陸作戦(第二戦線の形成)などを決定した。さらにスターリンはローズヴェルトに,ドイツ降伏後のソ連の対日参戦を約した。

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世界大百科事典(旧版)内のテヘラン会談の言及

【第2次世界大戦】より

…イタリア方面で連合国軍はイタリア半島の南部からドイツの頑強な抵抗にあい,苦戦を強いられながらローマへと向かっていた。43年11月テヘランでローズベルト,チャーチル,スターリンの会談が開かれ(テヘラン会談),連合国軍のフランス上陸作戦が決定された。チャーチルはこの作戦よりもバルカン半島への攻撃を主張していたが,ローズベルトとスターリンは戦争の早期終結を願い譲ることはなかった。…

※「テヘラン会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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