日本大百科全書(ニッポニカ) 「馮桂芬」の意味・わかりやすい解説
馮桂芬(ふうけいふん)
ふうけいふん
(1809―1874)
中国、清(しん)末の学者。字(あざな)は林一、号は景亭。江蘇(こうそ)省呉県の人。1840年(道光20)の進士。父の喪に服しつつ両江総督に塩法・税制の改革を建策し、太平天国軍が蘇州に迫ると団練を組織した功で右春坊右中允(ちゅういん)となるが、1年で帰郷した。蘇州が陥落し上海(シャンハイ)に避難。曽国藩(そうこくはん)への援軍要請に尽力し、李鴻章(りこうしょう)による蘇州回復を助けた。また、上海で書き上げた経世論集『校邠廬(こうひんろ)抗議』にみえる、西学の長所をとり中国の富国強兵を図ろうとする洋務論の構想を、一部実現した。著の『説文解字段注攷正(こうせい)』は段玉裁(だんぎょくさい)の注の典拠を調べ、字句の違いを正したもので、稿本のまま影印された(1927)。算学に『弧矢(こし)算術細草図解』など。集は『顕志堂稿』。
[近藤光男 2016年3月18日]