中国、清(しん)朝の同治帝(在位1861~75)の統治期をいう。1864年に太平天国を鎮圧したのち、華北の捻(ねん)軍や貴州の苗(ミャオ)族、ついで西北の回(イスラム)教徒の反乱を鎮圧して、相対的・一時的に平穏が回復し、曽国藩(そうこくはん)、李鴻章(りこうしょう)、左宗棠(さそうとう)ら、湘(しょう)軍、淮(わい)軍を率いた漢族官僚が各省の督撫(とくぶ)として支配秩序の再建にあたり、洋式軍事工業を建設して、清朝が再興するかに思われた。また北京(ペキン)条約締結、咸豊(かんぽう)帝の死去直後、西太后(せいたいこう)と恭親(きょうしん)王らが宮廷政変によって、前帝側近の頑固な保守排外派を処刑、追放して宮廷の実権を握り、総理衙門(がもん)を中心に、対外協調政策を進めて、列強との比較的平和な関係が生まれた。これらの理由により、この時期を同治中興と称し、曽、李、左らは中興の名臣とたたえられた。しかし、この間、政治制度や教育制度の本質的な改革は行われず、不平等条約改正への努力もなされなかった。列強の経済進出の拡大と相まって、これが、この時期の末期に始まった一般近代工業の建設の成果を、日本の同時代の殖産工業政策と比べて、かなり貧しいものに終わらせる要因となった。
[小島晋治]
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清末,同治年間(1862~74年)の内治外交が小康状態を保ち,清朝政権が安定を取り戻した状態をいう。アロー戦争後,内治外交の実権を握った恭親王奕訢(えききん)を中心に,太平天国や捻匪(ねんぴ)(捻軍)の討伐に活躍した曾国藩(そうこくはん),李鴻章(りこうしょう),左宗棠(さそうとう)などの洋務派官僚によって,軍備,工業,運輸などの近代化が進められた。
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