高克恭(読み)こうこくきょう

日本大百科全書(ニッポニカ)「高克恭」の解説

高克恭
こうこくきょう
(1248―1310)

中国、元(げん)代の画家。字(あざな)は彦敬(げんけい)。復古運動を推進した趙孟頫(ちょうもうふ)、銭選らとともに元の前期を代表する画家で、山水と墨竹において知られる。祖先はウイグルの出といわれ、彼は早く元朝に仕え、刑部尚書になった。山水画は北宋(ほくそう)末の米芾(べいふつ)・米友人父子の山水を学び、その山水様式に董源(とうげん)、巨然(きょねん)らを取り入れて、元代以降の米法山水画の典型をつくりだした。その作例に台北・国立故宮博物院の『雲横秀嶺図(うんおうしゅうれいず)』があげられる。また墨竹は金の画家王庭筠(おうていいん)を学んでいる。日本には雪舟が高克恭を模して弟子に与えたという『山水小巻』が現存。室町以降日本で知られた高然暉(こうねんき)と同一人物とする説もある。

[星山晋也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「高克恭」の解説

高克恭
こうこくきょう
Gao Ke-gong

[生]淳祐8(1248)
[]至大3(1310)
中国,元初の文人画家。大同 (山西省) の人。字は彦敬 (げんけい) ,号は房山先祖ウイグル人。元朝に仕え累進して大徳8 (1304) 年刑部尚書にいたる。詩画に巧みで墨竹にもすぐれたが,米法山水の元代における復興者として著名であり,影響も大きかった。代表作『雲横秀嶺図』 (台北,故宮博物院) 。

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百科事典マイペディア「高克恭」の解説

高克恭【こうこくきょう】

中国,元代の画家。字は彦敬,号は房山。西域人を先祖とし,仕官して刑部尚書に至る。初め米【ふつ】(べいふつ),米友仁,のち李成董源(とうげん),巨然を学び,あらい米点を用いた文人画的山水を描いた。墨竹でも有名。日本に山水画の伝わる高然暉(ねんき)と同一人物ではないかという説がある。

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世界大百科事典 第2版「高克恭」の解説

こうこくきょう【高克恭 Gāo Kè gōng】

1248‐1310
中国,元の文人画家。字は彦敬。号は房山。西域(一説にウイグル)の人であるが,高氏は早くから山西省大同に籍を置き,のち燕京(北京)の房山に移居した。父の高亨は元朝の世祖に重んじられたが,高克恭も世祖,成宗,武宗に仕え官は刑部尚書に至った。元初を代表する山水・墨竹画家で,特に米芾(べいふつ)・米友仁父子の米法山水(米家山)の継承者として元代以後に大きな影響を与えた。【湊 信幸】

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