中国、唐の第15代皇帝(在位840~846)。姓は李(り)、名は炎。穆宗(ぼくそう)の第5子で、文宗の弟。母は宣懿(せんい)皇后韋(い)氏。821年潁王(えいおう)に封ぜられ、840年文宗の死後、宦官(かんがん)の魚弘志、仇(きゅう)士良によって擁立された。中央より退けられていた李徳裕(りとくゆう)が宰相に復活し、政治の実権を握った。廻鶻(かいこつ)(ウイグル)の内部分裂に乗じて積極策に転じ、廻鶻可汗(かかん)に嫁していた太和公主を帰還させることができた。帝は道士の趙帰真(ちょうきしん)を重用して、845年大規模な廃仏を断行し、少数の寺院を残したほか、4600寺を壊し、僧尼26万余人を還俗(げんぞく)させた。帝は金丹(きんたん)を飲んで中毒にかかって死去した。
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…在位1505‐21年。姓は朱,名は厚照,廟号は武宗,年号により正徳帝とよばれる。第10代孝宗の長子で,暗愚ではなかったが,少年時代から奇行が多く,放縦逸楽の生活に終始した。…
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