日本歴史地名大系 「高崎城跡」の解説
高崎城跡
たかさきじようあと
〔和田城〕
中世末期の状況を描いたと考えられる和田絵図(「更正高崎旧事記」所収)によると、烏川左岸崖上に和田城がある。正長元年(一四二八)和田義信が
〔江戸時代〕
中山道の整備にともない、慶長三年井伊直政は居所を和田に移した。この頃の和田城は廃城同様な状態にあり、高崎城は和田城を改修したというより新しく構築した城といえる。しかし直政の在城はわずか三年弱であり、元和五年(一六一九)に封ぜられた安藤氏三代七七年の間に完成したといわれる。
高崎城跡
たかさきじようあと
大分市と別府市の境にある標高六二八・四メートルの高崎山頂に立地する山城。高崎山は別名
高崎城跡
たかさきじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報