日本歴史地名大系 「高崎村」の解説
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
東流する吉野川(別宮口)と南を北東流する
慶長二年(一五九七)の分限帳に高崎とみえ、一七九石が長江弥三郎、一〇四石余が堀尾平右衛門、五四石余が尾関源左衛門、一二石が尾関左太郎、七石余が尾関藤七郎、五〇石が井村清左衛門、一二五石が長田久右衛門、二〇六石余が伏屋太郎作、二〇〇石が伏屋忠左衛門、六九石余が高間太郎助、七〇石が河崎作右衛門、三〇石が安藤甚助、二〇石が津田九郎兵衛、五〇石が浅野才介、四〇石が田中九右衛門、四〇石が西野右馬允、四〇石が井関源内、一五石が又次郎、三五石が梯源兵衛、三〇石が梯仁右衛門、九六石余が岩田五左衛門の各知行分。
高崎村
たかさきむら
- 広島県:竹原市
- 高崎村
仁治四年(一二四三)二月日付の安芸沼田新庄方正検注目録写(小早川家文書)によれば、同二年に「高崎浦四丁二反三百卅歩(中略)所当米六石三斗二升五合、公物三石三斗五升四合、地頭分二石九斗七升一合」が検注され、
高崎村
たかさきむら
- 宮城県:多賀城市
- 高崎村
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
「寛文朱印留」によれば土井利益(のち古河藩主)領であったが、「各村旧高簿」によれば幕末には下総佐倉藩領で村高九八六・二九四石。ほかに
集落西南部の狭い道路沿いに寛政一二年(一八〇〇)建立の「庚申さま」があり、それと向い合って「奉納西国、坂東・秩父順礼供養塔、享和元年酉歳三月吉祥日」と刻まれた石碑があり、建立者は関長左衛門・上野半兵衛・幾久山孫兵衛・江連藤兵衛・中茎市郎兵衛・青木儀三郎。
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
高崎村
たかさきむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報