高木作右衛門(初代)
生年:生没年不詳
安土桃山・江戸初期の長崎地役人兼豪商。藤原氏の出身。名は忠雄。肥前高木(佐賀市)に城を築いていたが,永禄年間(1558~70)長崎に移り,商人となる。唐蘭貿易に従事し,元和2(1616)年摩陸(モルッカ)国あての海外渡航朱印状を幕府より与えられた。長崎頭人。以後,作右衛門が歴代名となるが,2代忠次も長崎町年寄。末次平蔵と共に民衆のキリスト棄教をすすめ,幕府より時服2領と銀を賜る。3代宗能のとき,あらたに御用物役になり,子の4代宗利が長崎町年寄になる。8代忠与は元文4(1739)年高木家で初めて長崎代官になる。以後,幕末まで歴代作右衛門が長崎代官を世襲。<参考文献>『長崎町年寄発端由緒書』『長崎叢書』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
高木作右衛門(初代) たかぎ-さくえもん
1553-1630* 織豊-江戸時代前期の商人。
天文(てんぶん)22年生まれ。肥前高木荘(佐賀県)から長崎へ移住,文禄(ぶんろく)元年町年寄となる。慶長12年長崎奉行小笠原一庵の不正を幕府にうったえ失脚させた。海外貿易にもたずさわり,元和(げんな)2年摩陸(モルッカ)あての朱印状をえた。洗礼名はルイス。のち棄教。寛永6年12月8日死去。77歳。名は忠雄。
高木作右衛門(2代) たかぎ-さくえもん
1586ごろ-1641 江戸時代前期の商人。
天正(てんしょう)14年ごろ生まれ。初代高木作右衛門の子。肥前長崎の町年寄をつとめる。キリスト教をすて,キリシタン弾圧に協力した。また朱印船貿易に従事した。寛永18年3月30日死去。56歳? 名は忠次。洗礼名はペトロ。
高木作右衛門(5代) たかぎ-さくえもん
1657-1697 江戸時代前期の町役人。
明暦3年生まれ。4代高木作右衛門の長男。寛文11年肥前長崎の町年寄。延宝3年御用物(ごようもつ)役となり,町年寄職を別家の高木伝左衛門にゆずった。元禄(げんろく)10年閏(うるう)2月8日死去。41歳。名は宗音。
高木作右衛門(7代) たかぎ-さくえもん
1687-1723 江戸時代中期の町役人。
貞享(じょうきょう)4年生まれ。5代高木作右衛門の長男。宝永元年肥前長崎の御用物(ごようもつ)役,正徳(しょうとく)5年長崎会所勘定役となった。享保(きょうほう)8年10月11日死去。37歳。名は忠栄。
高木作右衛門(3代) たかぎ-さくえもん
?-1671 江戸時代前期の町役人。
2代の養子となり,肥前長崎の町年寄をつとめる。寛文2年幕府買い上げの輸入品をあつかう御用物(ごようもつ)役となった。以後,この職は高木家の世襲となった。寛文11年10月22日死去。本姓は坂井。名は宗能。
高木作右衛門(8代) たかぎ-さくえもん
?-1760 江戸時代中期の町役人。
6代高木作右衛門の次男。享保(きょうほう)9年肥前長崎の御用物(ごようもつ)役となり,元文4年から長崎代官を兼任した。以後,この職は高木家の世襲となった。宝暦10年8月13日死去。名は忠与。
高木作右衛門(13代) たかぎ-さくえもん
1823-1873 幕末の町役人。
文政6年生まれ。11代高木作右衛門の次男。長崎鉄砲方をつとめ,嘉永(かえい)2年長崎代官となる。慶応4年2月から4月まで長崎府取締役。明治6年8月24日死去。51歳。名は忠知。
高木作右衛門(11代) たかぎ-さくえもん
1796-1848 江戸時代後期の町役人。
寛政8年生まれ。10代高木作右衛門の長男。天保(てんぽう)2年長崎代官となったが,弘化(こうか)3年免職となる。嘉永(かえい)元年9月10日死去。53歳。名は忠篤。
高木作右衛門(4代) たかぎ-さくえもん
1639-1708 江戸時代前期の町役人。
寛永16年生まれ。3代高木作右衛門の子。寛文2年肥前長崎の町年寄,11年御用物(ごようもつ)役となった。宝永5年8月20日死去。70歳。名は宗利。
高木作右衛門(9代) たかぎ-さくえもん
1738-1781 江戸時代中期の町役人。
元文3年生まれ。8代高木作右衛門の3男。宝暦11年長崎代官となり,御用物(ごようもつ)役をかねた。天明元年10月23日死去。44歳。名は忠興。
高木作右衛門(10代) たかぎ-さくえもん
1766-1831 江戸時代中期-後期の町役人。
明和3年生まれ。9代高木作右衛門の長男。天明元年長崎代官となった。天保(てんぽう)2年4月10日死去。66歳。名は忠任。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内の高木作右衛門の言及
【長崎代官】より
…4代目平蔵は長崎周辺7ヵ村のほか一時天草を管したが76年(延宝4)に改易され,事務は町年寄が兼管した。1739年(元文4)代官が再置され,高木作右衛門家が世襲。手代10人余を持ち,長崎付き地方3ヵ村約3000石,周辺7ヵ村約7000石のほか,天草,日向,筑前怡土(いと)郡など約3万石,一時は日田郡代地16万石を管したこともあった。…
【長谷川権六】より
…その間長崎,平戸に来航した外国船に対して規制を強化し軍需品等を買い占めた。またキリスト教の禁圧に努め,18年から宣教師の訴人褒賞制を実施し,町年寄高木作右衛門ら要人を棄教させて長崎と周辺地域のキリスト教組織の解体をはかった。【清水 紘一】。…
※「高木作右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」