デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木作右衛門」の解説
高木作右衛門(初代) たかぎ-さくえもん
天文(てんぶん)22年生まれ。肥前高木荘(佐賀県)から長崎へ移住,文禄(ぶんろく)元年町年寄となる。慶長12年長崎奉行小笠原一庵の不正を幕府にうったえ失脚させた。海外貿易にもたずさわり,元和(げんな)2年摩陸(モルッカ)あての朱印状をえた。洗礼名はルイス。のち棄教。寛永6年12月8日死去。77歳。名は忠雄。
高木作右衛門(2代) たかぎ-さくえもん
天正(てんしょう)14年ごろ生まれ。初代高木作右衛門の子。肥前長崎の町年寄をつとめる。キリスト教をすて,キリシタン弾圧に協力した。また朱印船貿易に従事した。寛永18年3月30日死去。56歳? 名は忠次。洗礼名はペトロ。
高木作右衛門(5代) たかぎ-さくえもん
明暦3年生まれ。4代高木作右衛門の長男。寛文11年肥前長崎の町年寄。延宝3年御用物(ごようもつ)役となり,町年寄職を別家の高木伝左衛門にゆずった。元禄(げんろく)10年閏(うるう)2月8日死去。41歳。名は宗音。
高木作右衛門(7代) たかぎ-さくえもん
貞享(じょうきょう)4年生まれ。5代高木作右衛門の長男。宝永元年肥前長崎の御用物(ごようもつ)役,正徳(しょうとく)5年長崎会所勘定役となった。享保(きょうほう)8年10月11日死去。37歳。名は忠栄。
高木作右衛門(3代) たかぎ-さくえもん
2代の養子となり,肥前長崎の町年寄をつとめる。寛文2年幕府買い上げの輸入品をあつかう御用物(ごようもつ)役となった。以後,この職は高木家の世襲となった。寛文11年10月22日死去。本姓は坂井。名は宗能。
高木作右衛門(8代) たかぎ-さくえもん
6代高木作右衛門の次男。享保(きょうほう)9年肥前長崎の御用物(ごようもつ)役となり,元文4年から長崎代官を兼任した。以後,この職は高木家の世襲となった。宝暦10年8月13日死去。名は忠与。
高木作右衛門(13代) たかぎ-さくえもん
文政6年生まれ。11代高木作右衛門の次男。長崎鉄砲方をつとめ,嘉永(かえい)2年長崎代官となる。慶応4年2月から4月まで長崎府取締役。明治6年8月24日死去。51歳。名は忠知。
高木作右衛門(11代) たかぎ-さくえもん
寛政8年生まれ。10代高木作右衛門の長男。天保(てんぽう)2年長崎代官となったが,弘化(こうか)3年免職となる。嘉永(かえい)元年9月10日死去。53歳。名は忠篤。
高木作右衛門(4代) たかぎ-さくえもん
寛永16年生まれ。3代高木作右衛門の子。寛文2年肥前長崎の町年寄,11年御用物(ごようもつ)役となった。宝永5年8月20日死去。70歳。名は宗利。
高木作右衛門(9代) たかぎ-さくえもん
元文3年生まれ。8代高木作右衛門の3男。宝暦11年長崎代官となり,御用物(ごようもつ)役をかねた。天明元年10月23日死去。44歳。名は忠興。
高木作右衛門(10代) たかぎ-さくえもん
明和3年生まれ。9代高木作右衛門の長男。天明元年長崎代官となった。天保(てんぽう)2年4月10日死去。66歳。名は忠任。