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高村豊周 たかむら とよちか

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美術人名辞典の解説

高村豊周

鋳金家。東京生。高村光雲は父、光太郎は兄。工芸団体「无型」を組織し、新工芸運動を興す。のち実在工芸美術会結成。伝統的な技法を駆使した簡潔・清新な造形で鋳金界に新指針を示した。人間国宝芸術院会員。歌人としても活躍、歌集に『露光集』等がある。昭和47年(1972)歿、82才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高村豊周 たかむら-とよちか

1890-1972 大正-昭和時代の鋳金家。
明治23年7月1日生まれ。高村光雲の3男。高村光太郎の弟。津田信夫(しのぶ)に師事。无型(むけい)や実在工芸美術会などを組織。東京美術学校教授,金沢工芸専門学校教授。鋳金家協会会長などをつとめた。代表作に「藤村詩碑」「斜交紋花筒」など。芸術院会員。昭和39年人間国宝。昭和47年6月2日死去。81歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。著作に「光太郎回想」「自画像」,歌集に「歌ぶくろ」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

たかむらとよちか【高村豊周】

1890‐1972(明治23‐昭和47)
鋳金家。高村光雲の三男として東京に生まれる。彫刻家・詩人の光太郎は長兄にあたる。18歳で津田信夫の門に入ったが,東京美術学校に学び1915年鋳金科を卒業。无型(むけい)(1926),実在工芸美術会(1935)を組織し,工芸の近代化運動に活躍した。作風は造形の新鮮さを,惣型(そうがた),込型(こめがた),蠟型などの伝統的な技法の駆使によったものが多い。代表作に長野県小諸懐古園の《藤村詩碑》,《斜交紋花筒》(1928年帝展特選)などがある。

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大辞林 第三版の解説

たかむらとよちか【高村豊周】

1890~1972) 鋳金家。東京生まれ。工芸団体无型むけいを組織、実在工芸美術会結成に参加。東京美術学校教授。作「鋳銅花器鼎」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高村豊周
たかむらとよちか
(1890―1972)

鋳金家。彫刻家高村光雲(こううん)の三男として、東京・下谷(したや)に生まれる。兄は彫刻家・詩人の光太郎(こうたろう)。東京美術学校(現東京芸術大学)鋳金科で津田信夫(のぶお)に師事、1915年(大正4)卒業後、新しい工芸美術の確立を目ざし、26年无会(むかい)を結成した。27~29年(昭和2~4)に帝展出品の「鋳銀盤」「斜交文花筒」「鋳銅花筒」が連続して特選となり、以後、帝展、文展、日展で審査員、理事等を務め、東京美術学校教授(1933~44)として後進を指導した。35年実在工芸美術会を設立して新様式の樹立に努めた。50年芸術院会員となり、64年には重要無形文化財保持者に認定された。作品は伝統的な器形をとりながらも明治の置物工芸から脱して、現代感覚を表出したものが多い。また詩歌を与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)夫妻に学び、歌集『露光(ろこう)集』がある。[原田一敏]

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