高橋 栄清(2代目)
タカハシ エイセイ
- 職業
- 箏曲家(山田流)
- 肩書
- 山田流箏曲高橋派家元
- 本名
- 高橋 松子
- 生年月日
- 明治34年 7月13日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 日本橋高女〔大正7年〕卒
- 経歴
- 父に箏曲を、2代稀音家浄観に長唄を師事、また平岡柳舟に東明流を学んで吟松を名乗った。昭和14年2代目栄清を襲名、松調会を継いだ。その演奏は平野健次監修「高橋栄清全集」に収録されている。
- 所属団体
- 日本三曲協会(相談役),山田流箏曲協会(副会長)
- 受賞
- 勲五等宝冠章〔昭和47年〕 芸術祭優秀賞〔昭和48年〕
- 没年月日
- 平成1年 1月22日 (1989年)
- 家族
- 父=高橋 栄清(初代),娘=高橋 正子(山田流箏曲協会理事)
高橋 栄清(初代)
タカハシ エイセイ
- 職業
- 箏曲家(山田流)
- 本名
- 高橋 源太郎
- 生年月日
- 慶応4年 4月23日
- 出生地
- 江戸・神田(東京都)
- 経歴
- 4歳で失明し、明治18年二世山多喜松調に入門。19年栄松の芸名を許される。のち清章と改称するが、38年師の没後、その名をついで栄清と改称。大正6年楽成会を設立し、有楽座で演奏会を続けた。12年山田流箏曲協会設立に伴ない副会長に就任。昭和12年、一門の松調会を設立した。
- 没年月日
- 昭和14年 11月10日 (1939年)
- 家族
- 長女=高橋 栄清(2代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
高橋栄清 (たかはしえいせい)
山田流箏曲家。(1)初世(1868-1939・明治1-昭和14) 本名源太郎。4歳で失明後,7歳で長唄を修業。18歳から2世山多喜松調(のちに櫛田栄清と改名)に入門。翌年栄松を名のるが,清章を経て,師の没後栄清を襲名。1917年初世萩岡松韻,越野栄松らと箏曲楽成会を結成し,山田流箏曲の発展に尽くす。23年山田流箏曲協会設立とともに副会長就任,37年に一門の松調会を結成。すぐれた演奏家であった。(2)2世(1904-89・明治37-平成1) 初世の長女。本名松子。父に箏曲を,稀音家浄観に長唄三味線を師事。1939年2世を襲名し,松調会を継ぐ。山田流女流の代表的演奏家。
執筆者:久保田 敏子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
高橋 栄清(2代目)
タカハシ エイセイ
大正・昭和期の箏曲家(山田流) 山田流箏曲高橋派家元。
- 生年
- 明治34(1901)年7月13日
- 没年
- 平成1(1989)年1月22日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 高橋 松子
- 学歴〔年〕
- 日本橋高女〔大正7年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲五等宝冠章〔昭和47年〕,芸術祭優秀賞〔昭和48年〕
- 経歴
- 父に箏曲を、2代稀音家浄観に長唄を師事、また平岡柳舟に東明流を学んで吟松を名乗った。昭和14年2代目栄清を襲名、松調会を継いだ。その演奏は平野健次監修「高橋栄清全集」に収録されている。
高橋 栄清(1代目)
タカハシ エイセイ
明治〜昭和期の箏曲家(山田流)
- 生年
- 慶応4年4月23日(1868年)
- 没年
- 昭和14(1939)年11月10日
- 出生地
- 江戸・神田
- 本名
- 高橋 源太郎
- 経歴
- 4歳で失明し、明治18年二世山多喜松調に入門。19年栄松の芸名を許される。のち清章と改称するが、38年師の没後、その名をついで栄清と改称。大正6年楽成会を設立し、有楽座で演奏会を続けた。12年山田流箏曲協会設立に伴ない副会長に就任。昭和12年、一門の松調会を設立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
高橋栄清(2代) たかはし-えいせい
1904-1989 大正-昭和時代の箏曲(そうきょく)家。
明治37年7月13日生まれ。初代高橋栄清の長女。箏曲を父に,長唄を2代稀音家(きねや)浄観に,三味線を平岡煕(ひろし)にまなぶ。昭和14年2代を襲名,山田流箏曲の伝統保持につとめた。平成元年1月22日死去。84歳。東京出身。本名は松子。
高橋栄清(初代) たかはし-えいせい
1868-1939 明治-昭和時代前期の箏曲(そうきょく)家。
慶応4年4月23日生まれ。4歳で失明,明治18年2代山多喜松調(のちの櫛田栄清)に入門,師の没後栄清の名をつぐ。大正12年山田流箏曲協会の設立とともに副会長。昭和14年11月10日死去。72歳。江戸出身。本名は源太郎。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
高橋 栄清(初代) (たかはし えいせい)
生年月日:1868年4月23日
明治時代-昭和時代の箏曲家
1939年没
高橋 栄清(2代目) (たかはし えいせい)
生年月日:1901年7月13日
大正時代;昭和時代の箏曲家
1989年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の高橋栄清の言及
【竹生島】より
…当初は5世山彦河良作曲の河東節と掛合で作られたが,その河東節のほうは絶え,山田検校門下きた女作曲といわれる箏歌と掛合で行われる。山田流箏曲としても,一中節掛合物として演奏されるが,その場合,一中節の部分を,必ずしも一中節の演奏者が分担するとは限らず,初世[高橋栄清]が箏の手を付けたものに基づいて,山田流の演奏家が分担するのが普通。能に基づき,部分的に詞章を補ったり省略したりしてある。…
【山勢派】より
…門下に,山喜田(山千代)翠風一検校,山谷清風一検校などがあり,その他本来は[山木派]の山多喜(山田喜・山滝)栄松一検校(後名松調)も山勢に師事したといわれる。その門から[高橋栄清]の師の櫛田栄清が出た。 2世山勢(1812‐68∥文化9‐明治1)は,糸魚川の杉本茂右衛門の長男。…
※「高橋栄清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」