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有楽座 ゆうらくざ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

有楽座
ゆうらくざ

劇場名。 (1) 高等演芸場として東京の有楽町に建てられた日本最初の洋式劇場。 1908年 11月1日開場。定員は桟敷を含めて 900人。従来の平土間に椅子席が設けられたほか,見物席での飲食喫煙を禁止して別に食堂と休憩室が設置され,茶屋出方を廃して切符制度,案内人が採用された。小山内薫,2世市川左団次の自由劇場第1回公演以後,当時の新劇団によく利用され,初期新劇史に果した役割は大きい。 20年帝劇に合併され,より近代的に改築されたが,関東大震災のため焼失。 (2) (1) の跡地に 1935年6月開場した東宝傘下の劇場。客席 1630。東宝劇団,古川緑波一座,エノケン一座などが主として出演,第2次世界大戦後は新劇団も利用した。 51年1月以降は映画専門劇場となり,84年 11月閉館。跡地にミニシアターを擁する日比谷シャンテが建った。

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世界大百科事典 第2版の解説

ゆうらくざ【有楽座】

東京都千代田区(もと麴町区)有楽町にあった劇場名。第1次のものは1908年,数寄屋橋に面した土地に高級演芸場として建てられ,4年後に開場した帝国劇場とともに大正期を代表する劇場であった。専属女優劇,お伽芝居,邦楽の名人会といった自主企画の呼物も持っていたが,劇場名が演劇史上に残ったのは,文芸協会自由劇場,無名会,舞台協会,土曜劇場,芸術座近代劇協会など,大正新劇の場として,その舞台が活用されたためで,自由劇場初公演のイプセン劇の初日の興奮を,島崎藤村谷崎潤一郎,小山内薫が書き残している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

有楽座
ゆうらくざ

劇場。(1)1908年(明治41)11月東京・数寄屋(すきや)橋近くに、高級演芸興行を目的として開場。洋風劇場の先駆けとして舞台は傾斜をもち間口10.92メートル(六間)、定員900名。邦楽名人会、お伽(とぎ)芝居、映画等を興行、翌年11月の自由劇場の旗揚げ公演以来、新劇運動の大きな拠点となった。1920年(大正9)帝国劇場の経営となり改装し、新劇、新舞踊等の発表に貢献したが、1923年関東大震災で焼失した。(2)1935年(昭和10)6月東京の現有楽町一丁目に株式会社東京宝塚劇場により開場。東宝劇団、古川緑波(ろっぱ)一座などが出演、戦後は焼失を免れた劇場の一つとして新劇合同など意義ある興行を行ったが、のち映画館に転向、1984年(昭和59)11月閉場した。[菊池 明]

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世界大百科事典内の有楽座の言及

【劇場】より

…西欧の劇場の理念の影響をうけて,プロセニアム舞台(額縁舞台)がつくられたのは,96年の川上座(神田三崎町)がはじめといわれている。オーケストラ・ボックスが設置されたのは,1908年11月に高等演芸場という名称を付して竣工した純洋風の有楽座からである。11年3月開場の本格的洋式劇場といわれた帝国劇場は,新しい釣り物の機構と,電動式回り舞台や,臨時オーケストラ・ピットを設備したのをはじめ,茶屋・出方を廃止して食堂・売店を設置し,有楽座と同様に椅子指定席とした。…

※「有楽座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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