高田信一(読み)タカタ シンイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「高田信一」の解説

高田 信一
タカタ シンイチ


職業
指揮者 作曲家

肩書
広島大学教授

生年月日
大正9年 1月24日

出生地
東京市 大森区(東京都大田区)

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)研究科〔昭和18年〕卒

経歴
8歳の頃に上野耐之から音楽の手ほどきを受け、12歳で藤田喜与子にピアノを、16歳で長谷川良夫に理論を師事。昭和12年東京音楽学校(東京芸術大学)に進学、橋本国彦、下総皖一、ヘルムート・フェルマーに作曲の、水谷達夫にピアノの教えを受けた。14年友人で同級生のトランペッターの中山冨士雄のために「コルネットとピアノのための3つの小品」を作曲。16年第1回音楽コンクールで「序曲〈桜〉」が第2位に入賞。18年12月の日本交響楽団(NHK交響楽団)定期演奏会で「主題・変奏曲と遁走曲」がローゼンシュトック指揮で演奏され、また時を同じくして同団指揮者にも就任。19年日独交歓大音楽会のために「ピアノとオーケストラによる奇想曲」を作曲。戦争中は戦意高揚のための音楽として「組曲〈東亜頌歌〉」や軍歌・戦時歌謡をメドレーにした「海軍魂」「陸軍魂」などを作り、20年には衣笠貞之助監督の映画「間諜海の薔薇」の音楽を担当。戦後の23年には平和の鐘楼建立会のオーケストラ作品懸賞募集に「平和頌歌」を応募、入選を果たす。この間、22年国民体育大会歌「若い力」(詞・佐伯孝夫)を作曲、開催地の石川県を中心に今日に至るまで歌われている。25年NHK放送開始25周年記念管弦楽公募に「交響的2楽章」が佳作として選ばれる。26年からは東京フィルハーモニー交響楽団専任指揮者として活躍した。同年佐分利信監督の映画「風雪二十年」で毎日映画コンクール音楽賞を受賞。映画音楽では関川秀雄監督「黎明八月十五日」、佐伯清監督「早稲田大学」、春原政久監督「うちのおばあちゃん」などを手がけた。29年広島大学教授。35年谷桃子バレエ団公演「白鳥の湖」を病身をおして指揮したが、まもなく死去した。他の作品に「フルートソナタ」「カプリチオ」「田園組曲」「交響詩山小屋に寄する牧歌〉」、行進曲「必勝信念」、混声4部合唱曲「富士山を望める歌」「仏教讃歌」などがある。

受賞
音コン作曲部門管弦楽曲第2位(第10回)〔昭和16年〕「序曲〈桜〉」,NHK放送開始25周年記念管弦楽公募佳作(昭和25年)「交響的2楽章」,毎日映画コンクール音楽賞(第6回)〔昭和26年〕「風雪二十年」

没年月日
昭和35年 1月16日 (1960年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「高田信一」の解説

高田 信一
タカタ シンイチ

昭和期の指揮者,作曲家



生年
大正9(1920)年1月24日

没年
昭和35(1960)年1月16日

出生地
東京・大森

学歴〔年〕
東京音楽学校研究科〔昭和18年〕卒

経歴
昭和16年第1回音楽コンクールで序曲「桜」が2位に入賞する。18年日本交響楽団に指揮者として迎えられた。26年からは東京フィルハーモニー交響楽団の専任として活躍した。29年広島大学教授。作品に「カプリチオ」「田園組曲」「交響的2楽章」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高田信一」の解説

高田信一 たかた-しんいち

1920-1960 昭和時代の指揮者,作曲家。
大正9年1月24日生まれ。昭和16年第1回音楽コンクールで序曲「桜」が第2位に入賞,18年日本交響楽団の指揮者となる。26年から東京フィルハーモニー交響楽団の専任指揮者として活躍,病のため35年1月16日急逝した。39歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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