日本歴史地名大系 「高田寺跡」の解説
高田寺跡
たかたじあと
高田寺跡
たかだでらあと
奈良県桜井市高田にあったとされる古代寺院。「続日本紀」天平宝字七年(七六三)一〇月二八日条に「前監物主典従七位上高田登足人之祖父嘗任美濃国主稲、属壬申兵乱、以私馬奉皇駕申美濃尾張国、天武天皇嘉之、賜封戸伝于子、至是坐殺高田寺僧、下獄奪封」とみえ、高田登一族を檀越とする寺であったと考えられる。また「七大寺巡礼私記」に、奈良唐招提寺講堂の本尊金銅弥勒三尊像について「寛仁二年七月或人巡礼記云、開講堂拝見之剋、有僧告、此弥勒三尊本高田寺仏也、其脇侍大妙相菩薩、昔為盗人被融解之時、此像高声叫云、痛哉、盗人捨去了、右臂天衣等以木
高田寺跡
たかだでらあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報