日本大百科全書(ニッポニカ) 「高齢者事業団」の意味・わかりやすい解説
高齢者事業団
こうれいしゃじぎょうだん
一般雇用を望まない高齢者を対象として、その能力と希望に応じて仕事を提供するための事業体。1974年(昭和49)東京都の事業として方針が出され、運営が始められたのが最初で、その後各地に普及していった。1980年には労働省(現厚生労働省)の経費補助事業として初めて国が予算措置をとった。その高齢者事業団のうち、運営費が国の補助対象となっている事業団はシルバー人材センターとよばれている。
[川崎忠文]
高齢者雇用問題の制度化
高齢者の雇用などは、1970年代以降、日本社会の急速な高齢化が見通されるなかで問題となった。1971年(昭和46)制定の中高年齢者雇用促進法や、従来の失業保険法に代わる雇用保険法の制定(1974)、ついで先の1971年法の改正による高年齢者雇用安定法(1986)などにより、高齢者の雇用継続、定年延長、高齢者雇用率の設定、さらには中高年齢者雇用開発給付金、高齢者雇用奨励金、あるいは職場適用訓練等の諸措置が進められてきた。
他方、第二次世界大戦後1949年に開始された緊急失業対策事業については、1970年代から1980年代にかけてその打ち切り策が講じられた。この失対事業に従事してきた労働者を組織する全日本自由労働組合(全日自労、1980年以降全日自労建設一般労働組合=建設一般全日自労、さらに1999年以降は全日本建設交運一般労働組合=建交労)は、組合員の高齢化あるいは高齢者の就職難が進むなかで、新たに制定された中高年齢者雇用促進法や雇用保険法のもとで、失対事業の拡充・活用と高齢者就労事業の創設を要求して活動した。その結果、高齢者の就労事業を実施した自治体は1973年の段階で48市町村、1980年には87事業団におよび、これらの事業は大別して自治体による直轄事業、委託事業、事業団方式などの形態をとっていた。東京では、1974年に高齢者就労事業振興財団による事業として運営が開始された(東京方式)。それらの性格も、高齢者の就労を主とするもの、福祉対策を主とするもの、あるいは生きがい対策とするものなどさまざまで、清掃・除草、駐輪場管理・監視、家屋修理・造園、物品製造・加工など多様な仕事を提供した。そして1979年に中高年雇用・福祉事業団全国協議会が結成され、1982年にはこの全国協議会が運営の責任を負う直轄事業団が設立された。また1980年にはこれらの事業は労働省の経費補助事業となり、初めて国の予算措置がとられ、同時に労働省の高齢者労働能力活用事業(シルバー人材センター構想)に取り入れられることになった。さらに1986年の高年齢者雇用安定法の制定に伴い、高年齢者雇用就業対策の一つに位置づけられて法制化されるに至った。
[川崎忠文]
運動の発展と事業内容
これら地域での高齢者事業団の創設に積極的に取り組んできた全日自労は、この事業団設置運動を労働者協同組合運動と位置づけ、1986年(昭和61)に先の事業団全国協議会が「労働者協同組合の全国連合会」へと改組され、1987年には全国連合会センター事業団の創設となった。こうした運動はやがて生活協同組合運動のなかから発展してきたワーカーズ・コレクティブ(社会的な活動に自主管理・運営方式でかかわる事業体)運動と結びついて、1994年からは高齢者協同組合(高齢協)づくりが始まり、2011年段階で全国35都道府県に組合が生まれ活動している。これらの高齢協の事業としては、デイケアセンター事業、環境保全・資源リサイクル養鶏事業、自分史出版事業、高齢者農園事業、ミニデイケアサービス事業などの取組みがなされている。
[川崎忠文]