鶴賀新内(読み)ツルガシンナイ

デジタル大辞泉 「鶴賀新内」の意味・読み・例文・類語

つるが‐しんない【鶴賀新内】

[?~1810]新内節太夫芸名。2世。鶴賀若狭掾門弟で、鼻にかかった独特の節回し人気を得た。

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精選版 日本国語大辞典 「鶴賀新内」の意味・読み・例文・類語

つるが‐しんない【鶴賀新内】

  1. 新内節の名家。初世。本名、岡田五郎次郎。通称若歳(わかとし)新内。宮古路加賀太夫(のち富士松薩摩掾)の門弟。同門の鶴賀若狭掾とともに独立、鶴賀新内と称した。哀婉断腸の節まわしで人気を得た。安永六年(一七七七)頃から鶴賀節・富士松節なども「新内節」といわれるようになった。文化七年(一八一〇)没。

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改訂新版 世界大百科事典 「鶴賀新内」の意味・わかりやすい解説

鶴賀新内 (つるがしんない)

新内節の太夫,作曲家。(1)初世(1714-74・正徳4-安永3) 湯方御家人,本名岡田五郎次郎。初名新内。1758年(宝暦8)鶴賀加賀八太夫と改名。この人の存命中には新内節の名称はなかったので,新内の代数に数えないこともある。(2)2世(?-1810(文化7)) 盲人。初世鶴賀若狭掾(わかさのじよう)の高弟鶴賀斎の弟。鶴賀若歳をへて2世新内を襲名。俗に〈若歳新内(わかとししんない)〉という。鼻にかかった特異な〈ふし落し〉が好評を博し,1777年(安永6)ごろから,それまでの富士松,鶴賀などの節を〈新内節〉というようになった。その後鶴賀本家に対して分家的存在となり,名取をつくったりした。作曲作品に《藤蔓恋の柵(ふじかずらこいのしがらみ)》《二世の環襷(にせのたまだすき)》《桂川恋散柳(かつらがわこいのちりやなぎ)》などがある。(3)3世 生没年未詳。盲人。2世の門人島太夫。前名鶴賀加賀歳。1814年(文化11)に3世をついだらしい。江戸中村座出演,19年(文政2)豊名賀薗太夫,21年鶴賀薗太夫,24年鶴賀出雲掾,27年津留賀文弥と改めたが以後の消息不明。作曲作品に《色浪廓宵月(いろのなみさとのよいづき)》《妹背抱柏(まさゆめいもせのだきがしわ)》などがある。(4)4世(?-1841(天保12)) 通称彦次郎。1821年(文政4)に4世をついだらしい。(5)第2次大戦後活躍している鶴賀新内(1902-93)は本名深野作造。前名鶴賀須磨太夫。1963年襲名。《瞼(まぶた)の母》《鳥辺山心中》など新作が多数ある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴賀新内」の意味・わかりやすい解説

鶴賀新内
つるがしんない

新内節鶴賀派の芸系で、俗に若歳(わかとし)新内といわれる2世に始まるとみなす説がある。今日まで数代を数えるが3世までが著名。

[林喜代弘]

初世

(1714―74)本名岡田五郎次郎。湯方御家人(ごけにん)で、初世若狭掾(わかさのじょう)の弟子。初名新内。1758年(宝暦8)加賀八太夫と改名。この人の時代にはまだ「新内節」の名称はない。

[林喜代弘]

2世

(?―1810)初世若狭掾の高弟鶴賀斎の弟で盲人。初名加賀歳(かがとし)。若歳を経て2世新内となる。鼻へ声を抜く独得の節落しが世上でもっぱらの評判となり、1777年(安永6)ごろから鶴賀、富士松、豊島などの系統の浄瑠璃(じょうるり)を総括して新内節と呼称するようになった。

[林喜代弘]

3世

生没年未詳。2世の門人で盲人。2世加賀歳から1814年(文化11)ごろ3世を襲名したと思われる。文政(ぶんせい)年間(1818~30)にかけて芝居の舞踊の地方(じかた)として出演し、新生面の開拓に努めた。のち豊名賀薗太夫(とよなかそのたゆう)、鶴賀出雲掾(いずものじょう)、津留賀文弥(つるがぶんや)としばしば改名しているが、27年(文政10)以後の消息は不明である。

[林喜代弘]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴賀新内」の解説

鶴賀 新内(6代目)
ツルガ シンナイ


職業
新内節太夫

本名
鈴木 重太郎

生年月日
嘉永2年

出身地
江戸(東京都)

経歴
初代若狭掾に始まる芸系。鶴賀若祖賀の門弟。若いころから新内をよくし、5代家元鶴賀若狭太夫(貞次郎)失跡後、社中に推され明治25年中絶した鶴賀派家元を再興、6代目を相続。翌年1月襲名披露。晩年には祖元と改名。京橋南小田原町の魚屋の親方で、俗称築地(魚市場)の三熊。

没年月日
明治40年 6月24日 (1907年)

家族
長男=鶴賀 新内(7代目)


鶴賀 新内(7代目)
ツルガ シンナイ


職業
新内節太夫

本名
鈴木 栄次郎

生年月日
明治14年

出生地
東京

経歴
6代目の長男で明治39年家元を相続、7代目新内を襲名。

没年月日
明治44年 5月21日 (1911年)

家族
父=鶴賀 新内(6代目),子=鶴賀 新内(8代目),妻=鶴賀 鶴吉(5代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「鶴賀新内」の解説

鶴賀 新内(7代目)
ツルガ シンナイ

明治期の新内節太夫



生年
明治14(1881)年

没年
明治44(1911)年5月21日

出生地
東京

本名
鈴木 栄次郎

経歴
6代目の長男で明治39年家元を相続、7代目新内を襲名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴賀新内」の意味・わかりやすい解説

鶴賀新内(2世)
つるがしんない[にせい]

[生]延享4(1747).
[没]文化7(1810).7. 江戸
新内節の太夫。初名加賀歳(かがとし)。前名若歳新内。1世鶴賀若狭掾の高弟。目が不自由だった。鼻にかかった声と独特の節回しで人気を得,それによって,鶴賀節の名に代わって新内節の呼称が一般化した。鶴賀の家元から分かれて新内家を立て,新内家では 1世とされる。『藤かづら』『白玉お半』などを作曲。

鶴賀新内(1世)
つるがしんない[いっせい]

[生]正徳4(1714)
[没]安永3(1774)
新内節の太夫。本名岡田五郎次郎。1世鶴賀若狭掾の弟子。湯方御家人で新内を名のったが,宝暦8 (1758) 年加賀八太夫と改名。

鶴賀新内(3世)
つるがしんない[さんせい]

新内節の太夫。文政年間 (1818~30) 頃活躍。初め1世鶴賀若狭掾の門人で,のち2世新内の門人または客分か。初名加賀歳から,豊名賀薗太夫,鶴賀薗太夫など,数回改名している。

鶴賀新内(4世)
つるがしんない[よんせい]

[生]?
[没]天保12(1841)
新内節の太夫。3世鶴賀新内の門弟。通称彦次郎。2世鶴賀鶴吉の夫とされる。文化 13 (1816) 年4世襲名。のち出雲掾を名のった。

鶴賀新内(5世)
つるがしんない[ごせい]

[生]文政9(1826)
[没]1883.1.26.
新内節の太夫。本家家元2世鶴賀鶴吉の男子。本名貞之助。1世鶴賀若狭太夫を経て明治1 (1868) 年襲名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴賀新内」の解説

鶴賀新内(2代) つるが-しんない

1747-1810 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
延享4年生まれ。初代鶴賀若狭掾(わかさのじょう)の門人。加賀歳(かがとし),若歳をへて2代新内をついだ。美声と鼻にかかった節おとしで人気を博す。安永のころから鶴賀系も,同系の富士松系,豊島系も,ともに新内節とよばれるようになった。文化7年7月4日死去。64歳。作品に「藤蔓(ふじかずら)恋の柵(しがらみ)」「二世の環襷(たまだすき)」など。

鶴賀新内(6代) つるが-しんない

1849-1907 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
嘉永(かえい)2年生まれ。江戸京橋の魚屋。鶴賀若祖賀の門人。鶴賀5代家元を相続した2代鶴賀若狭(わかさ)太夫(5代鶴賀新内の子)の失踪(しっそう)後,とだえていた家元を再興した。明治26年6代新内を襲名。のち祖元と改名。明治40年6月24日死去。59歳。本名は鈴木重太郎。通称は三熊。

鶴賀新内(5代) つるが-しんない

1826-1883 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文政9年生まれ。4代鶴賀新内の子。母は2代鶴賀鶴吉。安政2年母の没後3代鶴賀鶴吉となり,鶴賀4代家元を相続。明治元年5代新内をつぐ。明治16年1月26日死去。58歳。江戸出身。初名は貞之助。通称は庄兵衛。前名は鶴賀若狭(わかさ)太夫(初代)。

鶴賀新内(初代) つるが-しんない

1714-1774 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
正徳(しょうとく)4年生まれ。初代富士松薩摩掾(さつまのじょう)の門人で,のち鶴賀若狭掾(わかさのじょう)の門人となった。宝暦8年新内から加賀八太夫に改名。幕府御家人。安永3年8月11日死去。61歳。江戸出身。姓は岡田。通称は五郎次郎。

鶴賀新内(7代) つるが-しんない

1882-1911 明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治15年生まれ。6代鶴賀新内の子。5代鶴賀鶴吉の夫。2代鶴賀若狭掾(わかさのじょう)の父。明治39年鶴賀7代家元を相続して7代新内を襲名した。明治44年5月21日死去。30歳。東京出身。本名は鈴木栄次郎。

鶴賀新内(3代) つるが-しんない

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
2代の門人。2代加賀歳(かがとし)をへて文化11年(1814)に3代新内を襲名したという。文政2年豊名賀薗太夫,のち鶴賀出雲掾(いずものじょう),津留賀文弥などとたびたび改名。中村座,河原崎座に出演。

鶴賀新内(4代) つるが-しんない

?-1853 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
鶴賀3代家元2代鶴賀鶴吉の夫。文化13年4代新内をつぐ。嘉永(かえい)6年3月29日死去。通称は彦次郎。

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朝日日本歴史人物事典 「鶴賀新内」の解説

鶴賀新内(2代)

没年:文化7.7(1810)
生年:生年不詳
江戸後期の新内節の太夫。初代新内は初代鶴賀若狭掾の門弟だが,普通新内の代数には数えない。2代目は初代若狭掾の高弟鶴賀斎の弟で目が不自由だった。初名加賀歳,若歳を経て2代目新内となる。特異な「節おとし」(終了感を与える一節の語り口)が好評で,安永6(1777)年ごろから新内節が流行するようになった。

(根岸正海)


鶴賀新内(3代)

生年:生没年不詳
江戸後期の新内節の太夫。2代目新内の門人で,2代目加賀歳を経て文化11(1814)年に3代目新内を襲名したらしい。文政2(1819)年豊名賀薗太夫,のちに鶴賀薗太夫,鶴賀出雲掾,津留賀文弥と改めた。芝居にも出演し活躍したが,同10年以降消息不明。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鶴賀新内の言及

【新内節】より

…安永(1772‐81)の末ごろに生まれた江戸浄瑠璃。豊後節(ぶんごぶし)の一派で,鶴賀若歳(つるがわかとし)改め2世鶴賀新内の残した名称。それ以前の同系統の富士松,鶴賀,豊島らの節も含み,また後年富士松魯中(ろちゆう)の称した富士松浄瑠璃も,現在では新内節に含めている。…

※「鶴賀新内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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