神社の社格の一つ。古代律令制下では神祇官の管する官社は,毎年2月の祈年祭に神祇官から奉幣をうけたが,798年(延暦17)僻遠の地にある官社には神祇官にかわって国司が奉幣すること(国司班幣)が定められ,官幣社と国幣社との別が生じた。それぞれ大社・小社の別があり,「延喜式」には3132座の官社のうち国幣大社188座,小社2207座が記されている。幣帛(へいはく)には正税が用いられ,品目・数量とも官幣よりはるかに少ない。1871年(明治4)国家神道のもとで改めて官国幣社の制が定められ,地方官の祭る神社が国幣社とされた。大社・中社・小社にわけられ,祈年・新嘗(にいなめ)祭には宮内省から,例祭には国庫から神饌幣帛料が供出された。1946年(昭和21)廃止。
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神社の社格の一つ。神社が国家管理下にあった時代、律令制(りつりょうせい)下、国司の庁から幣帛(へいはく)を奉られた神社の総称。明治の制では祈年(きねん)祭・新嘗(にいなめ)祭に皇室から幣帛が、例祭には国庫から幣帛料が供進(きょうしん)された。
[編集部]
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…神社を国家が直接管理した時代の社格の一つ。官幣社と国幣社の総称。官社ともいう。…
…起源は不詳であるがおよそ7世紀末の白鳳期ころからとみられ,しだいに数を増して,10世紀の延喜ころまでにそのような数になったものとみられる。神祇官が奉幣しまつる官幣社と,国司が奉幣しまつる国幣社とがあり,それぞれ大,小にさらに区分され,また大に名神大社(みようじんたいしや)と大社とがあった。その数をあげると,官幣大社304座・198所(名神大社124座・74所,大社180座・124所),官幣小社433座・375所,国幣大社188座・155所(名神大社161座・129所,大社27座・26所),国幣小社2207座・2133所となる。…
… やがて律令体制が整えられると,太政官のほかに神祇官(じんぎかん)が置かれ,神祇官は祈年,新嘗,月次,大祓などの祭りごとに天神地祇に奉幣するものとされた。神祇官が直接に奉幣する神社は官幣社,地方の神々の社で国司が奉幣する神社は国幣社と呼ばれた。10世紀の初頭にまとめられた《延喜式》には,全国で2861の神社,3132座の神名が記載されているが,そこに見える神社を後世式内社(しきないしや)という。…
…また式内社以外で六国史にその名を記されている391の神社を,〈国史現在社〉と呼んで,式内社につぐものとした。式内社に対しては,神祇官から奉幣することが定められていたが,平安時代のはじめに,遠隔地の神社には国司が代わって奉幣を行うようになったので,国司奉幣の神社は,神祇官奉幣の神社を官幣社と呼ぶのに対して,国幣社というようになった。 国司は任国に着くと,まず国内の主要な神社に参詣し,その後政務を執るように定められているが,その参拝の順序が固定して一宮(いちのみや),二宮,三宮の呼称がおこり,それが国内の神社の序列をあらわすことになった。…
…国家神道のもとでの社格の一つ。律令制下の主要な神社は,神祇官が祭祀する官社に列せられたが,平安時代初頭に僻遠の地にある神社は神祇官に代わって国司が奉幣することになったので,前者を官幣社,後者を国幣社と称した。1868年(明治1),神祇官が再興され,71年には新しい官国幣社が定められたが,官幣社は歴代天皇・皇族をまつる神社と皇室の尊崇の厚かった神社,国幣社は延喜の制における国幣社と国土経営上重要な役割を果たした神社が列せられ,官幣社,国幣社ともに大・中・小の社格に分けられた。…
※「国幣社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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