黄禍論(読み)こうかろん

改訂新版 世界大百科事典 「黄禍論」の意味・わかりやすい解説

黄禍論 (こうかろん)

黄色人種がやがて世界に災禍をもたらすであろう,というヨーロッパで起こった説で,yellow peril(danger,terror),gelbe Gefahr,péril jauneなどの訳語。もっとも早いのはドイツ皇帝ウィルヘルム2世で,彼が画家クナックフスH.Knackfuss(1848-1915)にいわゆる〈黄禍の図〉を描かせ,それをロシア皇帝ニコライ2世に送ってから,黄禍論はヨーロッパにおいて問題となった。それとともに日本と中国においても,三国干渉の結果として逆に〈白禍〉が叫ばれるようにもなった。ちょうど日清・日露戦争後のことで,それはあたかもJ.A.deゴビノーの《人種不平等論》(1853-55)やH.S.チェンバレンの《19世紀の基礎》(1899-1901)があらわれ,それが前述のウィルヘルム2世や,のちのヒトラーの《我が闘争》の思想にも影響した。一方,中国でも辛亥革命以前の鄒容や陳天華,魯迅らが黄禍を論じた。魯迅は《准風月談》(1938)で黄禍について書いている。黄禍論は明治・大正にわたり,日本とアメリカ,イギリスの未来戦物語に大きく影響し,たとえば,ホーマー・リーHomer Lea(1876-1912)の《無智の勇気The Valor of Ignorance》(1909,《日米戦争》として訳出)や,千葉秋甫・田中花浪の《黄禍白禍未来之大戦》(1907),原田政右ヱ門の《遺恨十年日露未来戦》(1913),北原鉄雄の《次の一戦》(1914)などの日本未来戦記がおびただしくあらわれ,小寺謙吉の《大亜細亜主義論》(1916)が黄禍論を詳しく描き,徳冨蘆花の《勝利の悲哀》(1906)が一方では有色人種の誇りとともに,他方ではそれが人種の大戦乱のもととなることを予言した。それとともに孫文の大アジア主義のゆがめられた影響もあって,アジア侵略の方向をたどり,岡倉天心が〈アジアは一つである〉と唱えたことも,アジア諸国民の共通理解とは逆の意味にとらえ,天心と同じ意味のことを述べたインドのタゴールの言葉も日本人は誤解した。日中戦争が始まると東亜共同体論,さらに太平洋戦争とともに大東亜共栄圏論となり,結局,八紘一宇が日本の世界戦争の目標とされた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄禍論」の意味・わかりやすい解説

黄禍論
こうかろん
yellow peril

黄色人種の台頭が白人文明ないし白人社会に脅威を与えるという主張。その底流には、非科学的ではあるが、少なくとも近代史を部分的に反映する白人の優越性と黄色人種の劣等性という考え方がある。軍事、政治、経済、社会のいずれかにおいて黄色人種の活躍が既成の白人支配体制に大きな影響を及ぼすとき、あるいは白人社会がそのように想像するときにおきやすい。遠い背景として13世紀におけるモンゴル帝国のヨーロッパ侵略があるようである。19世紀から20世紀初頭に及ぶアメリカ合衆国における中国人、ついで日本人に対する排斥、およびかつてのオーストラリアにおける黄色人排斥の白豪主義は黄禍論の一つの姿である。政治論としては、日清(にっしん)戦争末期にドイツ皇帝ウィルヘルム2世が日本の国際的進出はヨーロッパ文明を脅かすとして、日本を極東に閉じ込めるべきだとした主張が有名である。そのねらいは、ヨーロッパ列強に、そのアジア侵略にとってじゃまになる日本を警戒させることにあった。これが、日清戦争後の1895年(明治28)下関(しものせき)条約による日本の遼東(りょうとう)半島領有に、ロシア、ドイツ、フランスが干渉して清国に返還させた三国干渉に結実した。

[鈴木二郎]

『橋川文三著『黄禍物語』(1976・筑摩書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄禍論」の意味・わかりやすい解説

黄禍論
こうかろん
yellow peril

日清戦争末期の 1895年春頃からヨーロッパで唱えられた黄色人種警戒論。 19世紀末にドイツの地理学者 F.リヒトホーフェンは,アジア民族の移住と労働力の脅威にふれ,黄色人種の人口が圧倒的に多いことが将来の脅威となるであろうと指摘した。日清戦争における日本の勝利は,ヨーロッパの白人の間に黄色人種に対する恐怖と警戒の念を強めた。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世は,かつてのオスマン帝国やモンゴルのヨーロッパ遠征にみられるように,黄色人種の興隆はキリスト教文明ないしヨーロッパ文明の運命にかかわる大問題であるから,この「黄禍」に対して,ヨーロッパ列強は一致して対抗すべきであると述べ,特にロシアは地理的に「黄禍」を阻止する前衛の役割を果すべきであるから,ドイツはそのためにロシアを支援して黄色人種を抑圧すると主張した。この主張の背後には,ロシアを極東進出政策に向けることによって,ヨーロッパ,近東におけるロシアからの脅威を減殺してドイツのオスマン帝国進出政策を容易にしようとする政治的意図が存在した。この構想の最初の具体的表現が,三国干渉の対日行動であった。その後も,第1次世界大戦中の 1914年に日本がドイツの膠州湾租借地を占領した際にも黄禍論が唱えられ,また日露戦争後から 1920年代にかけてのアメリカの排日運動の際にも,黄禍論的な議論がしばしば行われた。

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百科事典マイペディア 「黄禍論」の意味・わかりやすい解説

黄禍論【こうかろん】

黄色人種が白色人種を凌駕(りょうが)するおそれがあるとする主張。アジアに対する欧米諸国の侵略,黄色人種の圧迫を正当化するために用いられた。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が日清戦争義和団事件などに際してこの言葉を用いたのが最初とされ,Yellow Perilという英語となって,とくに日露戦争以後広まり,中国系移民や日系移民の排斥にもつながった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「黄禍論」の解説

黄禍論
こうかろん

黄色人種が興隆して白色人種に禍をもたらすであろうという思想・政治的議論。元来は中国人に対する警戒から唱えられたが,日清戦争での日本の勝利に刺激されて表面化し,日露戦争でのロシアに対する日本の勝利後はいっそう激しく主張された。アメリカにも波及し日本人労働者の排斥,学童の隔離教育,移民禁止など排日気運を激化させた。代表的な黄禍論者としてはドイツ皇帝ウィルヘルム2世が著名である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「黄禍論」の解説

黄禍論(こうかろん)
gelbe Gefahr[ドイツ],yellow peril[英]

白色人種による黄色人種抑圧論。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世日清戦争の際,黄色人種の脅威を強調しこれに対抗すべきことを説いて以来,移民問題などに際して説かれた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「黄禍論」の解説

黄禍論
こうかろん

アジア民族の進出を恐れる白人の黄色人種排斥論
日清戦争に勝利した日本の中国進出に反対して,ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が唱えた。またアメリカでは,19世紀末からの中国人や日本人の移民の増加を契機に唱えられ,移民法が制定された。

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