日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒瀬川帯」の意味・わかりやすい解説
黒瀬川帯
くろせがわたい
日本の地体構造区分上の区分名の一つで、西南日本外帯の秩父帯(ちちぶたい)を南北に三分したときに、中央にある地帯。かつての秩父帯中帯にほぼ相当するが、範囲が一致しない部分がある。紀伊半島から四国、九州にかけて分布し、関東山地にも黒瀬川帯に相当すると考えられる部分がある。名称は、愛媛県西予(せいよ)市城川町を流れる黒瀬川に由来する。黒瀬川帯は、黒瀬川地帯とよばれることもある。範囲としては、黒瀬川帯(黒瀬川地帯)は、黒瀬川構造帯を含む。黒瀬川帯と黒瀬川構造帯は、別の意味で使われることが一般的であるが、黒瀬川帯という名称は、ときとして黒瀬川構造帯の略称としても使われることがあるので注意を要する。
[村田明広]
黒瀬川構造帯
秩父帯の中ほどには、先シルル系寺野(てらの)変成岩類、岡成(おかなろ)層群・祇園山(ぎおんやま)層などのシルル・デボン系、三滝(みたき)火成岩類等の花崗(かこう)岩類、高圧型変成岩類などの黒瀬川古期岩類とよばれる岩石が分布する。なお、古期岩類という名称は、日本列島に産出する岩石としては最も古いものに属することによる。これらの古期岩類は、断層によって囲まれており、幅2キロメートル以下、長さ数キロメートル以下の大小のレンズ状岩体として、東北東―西南西走向で、1列または数列分布する。これらの岩石は、断層運動によって地下から上昇してきたと考えられ、日本列島における第一級の構造帯として、黒瀬川構造帯とよばれる。黒瀬川構造帯という用語は、古期岩類が分布する部分に限って用いられる。なお、これらのレンズ状岩体の境界断層に沿っては蛇紋岩類が存在していることが多い。そのため、蛇紋岩メランジュ帯として考えられたこともある。
[村田明広]
黒瀬川帯の特徴
黒瀬川構造帯に沿っては、古期岩類以外に、ペルム系(二畳系)礫(れき)岩・砂岩・泥岩層、ペルム紀付加コンプレックス、古期・新期伊野変成コンプレックス、陸棚相上部三畳系、上部ジュラ系、そしてこれらを不整合に覆う白亜系が分布する。そのため、黒瀬川構造帯を含む幅広い地帯として黒瀬川帯(黒瀬川地帯)があり、秩父帯北帯や三宝山(さんぼうさん)帯と区別される。地体構造区分名として用いられるのは、この幅をもった地帯としての黒瀬川帯(黒瀬川地帯)である。古生代ペルム紀や中生代三畳紀に、黒瀬川帯には浅海性の砕屑(さいせつ)岩類が堆積したが、北側の秩父帯北帯、南側の三宝山帯の付加コンプレックスのうち、同時代のものは遠洋性のチャートである。古い花崗岩や変成岩が存在することからも、少なくともこれらの時期には、黒瀬川帯には古陸あるいは列島が存在していたと考えられる。
黒瀬川帯のさまざまな岩石は、中生代に黒瀬川帯あるいはその縁辺部で生じた左横ずれ運動により、変形しながら現在の位置に定着したとする考えが出されている。一方、黒瀬川帯は西南日本内帯から移動してきたナップ(異地性岩塊)で、現在、クリッペとして、地下で連続している秩父帯北帯・三宝山帯の付加コンプレックスの上にのっているとする考え(黒瀬川クリッペ説)も出されている。黒瀬川古期岩類やペルム紀付加コンプレックスなどの分布域には、ジュラ紀付加コンプレックスが小規模に分布するところがある。このジュラ紀付加コンプレックスは、横ずれ説では断層に沿って挟み込まれたと考えられ、クリッペ説では黒瀬川クリッペの下位にフェンスターとして存在していると考えられている。いずれにしても、現在の黒瀬川帯の古期岩類や地層は、仏像構造線などの低角衝上断層によって切られて根なしとなっており、その地下には四万十(しまんと)帯の付加コンプレックスが存在している。
[村田明広]