大蔵・財務官僚、経済学者。日本銀行第31代総裁(2013年3月~2023年4月)。昭和19年10月25日福岡県生まれ。東京大学法学部卒業。財務省財務官、一橋(ひとつばし)大学大学院教授、アジア開発銀行総裁などを経て、2013年(平成25)3月20日から2期、約10年間日本銀行総裁を務めた。1999年(平成11)~2003年の財務官時代に、数回にわたり大規模な為替(かわせ)介入を実施した。日本銀行の金融政策については長く批判を展開しており、「量的緩和」を提唱してきた。就任前には「2年で消費者物価指数(CPI)対前年比上昇率2%」を達成できると明言しており、総裁就任後の最初の金融政策決定会合(4月3~4日)では2年程度の期間を念頭においてできるだけ早期に上昇率2%の物価安定目標を達成するとして、「量的・質的金融緩和」を導入した。
量的・質的金融緩和は、2%の物価安定目標の早期実現に必要な長期予想インフレ率への働きかけをするために、金融市場調節の操作目標をこれまでの短期金利(翌日物無担保コール金利)から、「量」を示す指標としてマネタリーベース(当座預金と日銀券発行残高の合計)に変更し、これを年間60兆~70兆円のペースで拡大する政策である。この量の拡大を実現するために、国債を(それまでの残存期間3年までから)最長40年債まで年間50兆円買い入れ、リスク性資産として指数連動型上場投資信託受益権(ETF)や不動産投資法人投資口(J-REIT(リート))なども買入額を大幅に増やした。こうした金融緩和は、安倍晋三(あべしんぞう)内閣が提唱する「アベノミクス」の3本の矢(第一の矢は大胆な金融政策、第二の矢は機動的な財政政策、第三の矢は成長戦略)の第一の矢と位置づけられた。そのためアベノミクスに対する評価は金融緩和に過度に依存した経済政策だったとする見方が多い。
[白井さゆり 2023年10月18日]
2012年12月に安倍晋三の率いる(当時野党の)自由民主党が総選挙で大勝して政権に復帰する前後に、次期日本銀行総裁のもとで大規模金融緩和が実践されるとの予想から、先行して株価上昇と円安が進行した。黒田が2013年3月に新総裁に就任し、4月に量的・質的金融緩和を導入したことで、一段と円安が進み過度な円高が是正された。その結果、企業収益の増加や名目賃金の上昇につながり、企業のなかには付加価値を高める商品・サービスを提供することで販売価格を引き上げる事例もみられ、大型小売店などで行われることがあった過度なディスカウント競争は減少した。CPI対前年比上昇率は、原油価格の高止まりと円安による輸入価格の上昇および需給ギャップ(総需要と供給力の差)の改善もあって、2014年度初めに(消費税率引上げ分の2%程度を除くと)1%なかば程度まで上昇した。しかし、その後、2014年4月の消費税率引上げなどもあって、物価上昇率が3%以上に急速に高まったことで実質賃金が大きく下落し、消費が落ち込んだ。2014年なかばからの原油価格の急落などもあって、CPI対前年比上昇率は低下し、長期インフレ予想もインフレ率が低下を始めたことを受けて、日本銀行は2014年10月にマネタリーベース拡大を伴う大型追加緩和を実施した。
2016年初めにはマイナス金利政策を導入し、同年9月には金融市場調節の操作目標をマネタリーベースから長短金利操作に転換した。長短金利操作は、すでに導入しているマイナス金利と10年物国債金利をおおむねゼロ%程度で安定化させる金利政策である。マイナス金利政策導入以降は、銀行などから金融緩和策の「副作用」についての言及が多くなり、批判が強まることとなった。そのため10年物国債金利は2018年7月に変動幅上下0.2%を導入し、いくぶん市場の需給にあわせた変動を許容した。2021年(令和3)3月には変動幅は上下0.25%に拡大したが、このときに強力に金利の上限を画するために0.25%で10年物国債を無制限に買い入れる連続指値(さしね)オペレーションを導入した。その後、2021年以降の世界的なコモディティ価格の高騰や2022年のロシアのウクライナ侵攻などによってインフレが進み、2022年3月からアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)が急ピッチで利上げを始めると日本の長期金利にも上昇圧力がかかり、これに対応するために同年4月に0.25%で10年物国債を毎営業日買い入れる指値オペを導入した。アメリカをはじめ世界の多くの中央銀行が利上げをするなか、主要中央銀行のなかでは日本銀行だけが0.25%を維持する金融緩和を続けたため、大幅な円安が進行し輸入物価の高騰の一因となった。また、0.25%の上限を維持するために大量に10年物国債を買い入れたことで国債市場の流動性が低下するなど副作用が顕在化し、市場参加者の批判が高まった。副作用を緩和するために、2022年12月にサプライズで変動幅を上下0.5%へ拡大したことにより、国債市場は不安定化し、日本銀行は大量の国債買入れを余儀なくされた。アメリカの長期金利が3月からの地域銀行の破綻(はたん)もあって落ち着いたこともあり、国債金利は2023年3月ころから落ち着き、日本銀行は指値オペレーションを実施する必要がなくなっている。しかし市場参加者からの長短金利操作への批判は続き、次期総裁のもとで政策調整が行われることへの期待が高まった。
[白井さゆり 2023年10月18日]
黒田の功績は、これまでの日本銀行の金融政策に対する根強い批判、すなわち金融緩和が不十分で、デフレ脱却や円高是正への意思が明確ではないといった見方を一蹴(いっしゅう)するほどの大胆な金融緩和を導入し、リーダーシップを発揮したことにある。こうした果敢な態度と、デフレ脱却に向けた明確なわかりやすいメッセージ、かつ強い意思表明に対して、当初、世界から称賛が寄せられた。しかし、しだいに枠組みが複雑化し、とくにマイナス金利政策以降には、日本銀行の政策方針は複雑でわかりにくくなったとの見方が広がるようになった。また、国債買入れによって国債発行残高の半分以上も日本銀行が保有する結果となったことや、長短金利操作が長期化したことで、非伝統的政策の限界や副作用も意識されるようになった。
インフレ率は2022年4月から2%を超えたが、原因は輸入物価の上昇と円安によるインフレが中心であり、日本銀行が望むような、総需要を大きく刺激したうえでの賃金上昇と物価上昇の好循環によるインフレではなかったため、持続性がなく、前年比上昇率2%の物価安定目標の安定的な実現はできなかった。そうした事実を認めつつも、黒田は退任会見において「大規模な金融緩和はさまざまな効果をあげ、政策運営は適切だった」「物価が持続的に下落するという意味でのデフレではなくなった」と成果を強調し、日本銀行総裁の任期を2期務めあげた。
[白井さゆり 2023年10月18日]
(金谷俊秀 ライター / 2013年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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