三沢 勝衛(読み)ミサワ カツエ

20世紀日本人名事典 「三沢 勝衛」の解説

三沢 勝衛
ミサワ カツエ

明治〜昭和期の中学校教師(諏訪中学校)



生年
明治18(1885)年1月25日

没年
昭和12(1937)年8月18日

出生地
長野県更級郡更府村大字三水

学歴〔年〕
水内尋常高等小学校高等科〔明治32年〕卒

経歴
日本における太陽黒点観測の開拓者。郷里代用教員から出発して勉学を重ね、尋常科準教員・正教員、本科準教員・正教員などの検定試験に合格。さらに、師範学校・中学校・高等女学校地理科の免許を取得し、大正9年より諏訪中学校(現・諏訪清陵高校)の教師をつとめる。授業中に多くの書を背追ってくるので「大八車」と呼ばれた名物教師。クラブ活動「科学会」で400人余の生徒と共に行った、太陽の黒点や黄道光の観察は、天文学史上の貴重な業績となった。また、「郷土地理」の理念など独自の教育思想を持ち、教え子からは科学者が輩出した。著書に「渋崎図集」「地理教育管見梗概」「三沢勝衛著作集」(みすず書房)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三沢 勝衛」の意味・わかりやすい解説

三沢勝衛
みさわかつえ

[生]1885. 長野
[没]1937. 長野
地理学者。長野県に生れ独学で 1915年検定試験に合格,師範学校,中学校,高等女学校地理科の免許状を取得した。 20年諏訪中学校 (現在諏訪清陵高等学校) 教諭になり,ここにおいて独自の地理教育を行い,のちに学界の各方面で活躍した多くの人材を育てた。同時に地理学の方法論,地理教育論,風土論および信州の地理に関する多くの著書,論文を発表したが,これらは当時ようやく成立したばかりの日本の近代地理学の最高の水準を示すものであった。その著作は『三沢勝衛著作集』 (3巻,1979) にまとめられている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三沢 勝衛」の解説

三沢勝衛 みさわ-かつえ

1885-1937 大正-昭和時代前期の教育者,地理学者。
明治18年1月25日生まれ。検定で教員資格をとり,大正9年長野県諏訪(すわ)中学(現諏訪清陵高)教諭。野外調査を中心とした独自の地理教育をおこなう。太陽黒点の観測をつづけたほか,小気候の研究にも先鞭(せんべん)をつけた。著作集3巻と三沢記念文庫がのこされている。昭和12年8月18日死去。53歳。長野県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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