務台 理作(読み)ムタイ リサク

20世紀日本人名事典 「務台 理作」の解説

務台 理作
ムタイ リサク

大正・昭和期の哲学者 東京教育大学名誉教授;日本哲学会会長。



生年
明治23(1890)年8月8日

没年
昭和49(1974)年7月5日

出生地
長野

学歴〔年〕
京都帝国大学哲学科〔大正7年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和10年〕

経歴
京都帝大で西田幾多郎師事助手の後、大正11年第三高等学校講師、同志社女専講師を経て、15年ドイツに留学。昭和3年帰国、台北帝大教授となり、10年東京文理科大学教授(東京教育大学の前身)、20年学長、26年定年退官後、慶応義塾大学教授となる。西田哲学逸材の一人として知られ、ドイツ哲学の主流であった現象学を学び「ヘーゲル研究」で学位を得た。戦後マルクス主義に接近、戦争や貧困から解放を目指す人類的、社会主義的な“第三ヒューマニズム”を提唱。平和運動にも関心を寄せ、安保闘争期には岸信介内閣批判や大学立法反対の立場から積極的発言をした。日本哲学会会長、日本学術会議会員を歴任著書に「現象学研究」「場所の論理学」「第三ヒューマニズムと平和」「現代倫理思想の研究」「哲学概論」「思索観察」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「務台 理作」の意味・わかりやすい解説

務台理作
むたいりさく

[生]1890.8.8. 長野
[没]1974.7.5.
哲学者。東京高等師範学校を経て京都大学哲学科に入り西田幾多郎に師事,1918年卒業。第三高等学校講師などを経て 26年ヨーロッパに留学,フッサールなどに学ぶ。 35年東京文理科大学教授となり,45年には同学長となった。 51年より慶應義塾大学教授。その哲学は一貫して人間のあり方を社会性と実存性の統一としてとらえようとするところに特徴をもつが,第2次世界大戦前はヘーゲルの歴史哲学を西田哲学とのかかわりにおいて,戦後は,マルクス主義哲学を実存主義哲学とのかかわりにおいて結びつけようと企図した。著書に『ヘーゲル研究』『社会存在論』および『思索と観察』 (1968) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「務台 理作」の解説

務台理作 むたい-りさく

1890-1974 大正-昭和時代の哲学者。
明治23年8月8日生まれ。西田幾多郎(きたろう)に師事,ドイツに留学してフッサールに現象学をまなぶ。台北帝大教授をへて昭和10年東京文理大教授,20年学長。26年慶大教授。戦後は社会主義ヒューマニズムを提唱,平和問題にも発言した。昭和49年7月5日死去。83歳。長野県出身。京都帝大卒。著作に「哲学概論」「現代のヒューマニズム」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「務台 理作」の解説

務台 理作 (むたい りさく)

生年月日:1890年8月8日
大正時代;昭和時代の哲学者。東京教育大学教授;日本哲学会会長
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android