天目山(読み)テンモクザン

デジタル大辞泉 「天目山」の意味・読み・例文・類語

てんもく‐ざん【天目山】


山梨県甲州市にある山。標高1380メートル。天目山栖雲寺がある。南麓の田野たの武田勝頼が自刃した所。
中国浙江せっこう省北部にある山。東西二峰からなり、西天目山は標高1507メートル。仏教・道教の寺院が多く、景勝地
から転じて》物事の最後の場面。勝敗の分かれ目。「ここが勝負の天目山だ」

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精選版 日本国語大辞典 「天目山」の意味・読み・例文・類語

てんもく‐ざん【天目山】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 中国の山の名。浙江北西部、安徽省との境にある同名の山脈主峰。臨安県の北西の東天目山と于潜県の北の西天目山が相対する。寺院が多い。
    2. [ 二 ] ( 棲雲寺の山号にちなむ ) 山梨県中東部の山。大菩薩嶺(だいぼさつれい)の南側に連なる。業海の開基になる棲雲寺(栖雲寺とも)があり、武田勝頼が自刃した田野が南麓にある。興国年間(一三四〇‐四六)に棲雲寺が建立される以前は木賊(とくさ)山と呼ばれていた。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( 武田勝頼が[ 一 ][ 二 ]で自刃したところから ) 最後の場所。また、勝敗の最後の分かれ目。

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改訂新版 世界大百科事典 「天目山」の意味・わかりやすい解説

天目山 (てんもくさん)
Tiān mù shān

中国,浙江省北西部の山地。古くは浮玉山と称した。北東南西の走向をもち,南西部は安徽省と接し,北東部は太湖平原に没する。最高峰は安徽・浙江省界にある竜王山(1587m)で,そのほか東天目山(1479m),西天目山(1507m)などの名峰がある。南から眺めると東西天目山が相対してそびえ,峰上にはそれぞれ池があって両眼のようにみえるところから天目と称する。急峻な地形のため,いたるところに渓流や瀑布が形成され,深い森林や奇峰奇岩とあいまって古くから浙西の名勝として知られた。また杭州に近いところから,有事の際の逃避地ともなり,低隘な部分は北への間道として用いられた。植生の面では南北植生の遷移地帯にあたって樹種が多く,高高度の所には寒冷期の遺留植物もみられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天目山」の意味・わかりやすい解説

天目山(中国)
てんもくさん / ティエンムーシャン

中国、浙江(せっこう)省北西部、安徽(あんき)省との省境付近を南西から北東方向に走る山地。東天目山と西天目山があり、最高点は西天目山の竜王(りゅうおう)山(1587メートル)である。山頂にはどちらも「天目」と称する池をたたえ、梁(りょう)の昭明太子が西天目で読書し東天目で参禅するなど、事跡はほぼ対置される。東天目山には「玉剣飛橋(ぎょくけんひきょう)」「懸崖飛瀑(けんがいひばく)」とよぶ二つの奇勝があり、いずれも滝の景観が美しい。西天目山には禅源(ぜんげん)寺、象鼻(ぞうび)峰、張公洞(ちょうこうどう)、玉枉(ぎょくおう)峰などの名勝があり、山頂からは銭塘(せんとう)江を遠望できる。また太湖(たいこ)に注ぐ苕渓(ちょうけい)や銭塘江上流の桐渓(とうけい)などの発源地でもある。

[林 和生


天目山(山梨県)
てんもくさん

山梨県甲州市(こうしゅうし)大和町(やまとちょう)地区にある地名。本来は入元僧業海本浄(ぎょうかいほんじょう)が中国の天目山で学んだのち、1348年(正平3・貞和4)地形の似た所としてこの地に建立した臨済(りんざい)宗棲雲寺(せいうんじ)(栖雲寺)の山号である。東天目と称し、古くはこの付近を木賊山(とくさやま)といった。1582年(天正10)武田勝頼(かつより)が滅亡した天目山の戦いはこの寺の南方にあたる田野(たの)で行われた。付近の日川(ひかわ)上流には武田氏の旧跡もあり、渓谷美とともにハイキングコースになっている。

[吉村 稔]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天目山」の意味・わかりやすい解説

天目山
てんもくざん

山梨県北東部,甲州市南部にある山。標高 1380m。天正 10 (1582) 年武田勝頼が織田,徳川軍に攻められ,天目山山麓の田野の景徳院で自刃し,武田氏が滅亡したことで知られる古戦場。棲雲寺がある。

天目山
てんもくざん

東京都と埼玉県との境,秩父山地の南部にある山。標高 1576m。山体は秩父古生層から成り,原生林におおわれる。西の雲取山や白岩山とともに秩父多摩甲斐国立公園に属する。

天目山
てんもくざん

ティエンムーシャン(天目山)山脈」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「天目山」の意味・わかりやすい解説

天目山【てんもくさん】

山梨県東山梨郡大和村(現・甲州市)にある古戦場。武田信武開基と伝える天目山棲雲(せいうん)寺がある。1582年武田勝頼は織田・徳川の軍に攻められ,小山田信茂の居城岩殿におもむいたが信茂の反逆にあい,天目山にこもる道中,3月11日勝頼・信勝父子と勝頼夫人は自刃(じじん),武田氏は滅亡した。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「天目山」の解説

天目山
てんもくざん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治25.春(大阪・浪花座)

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世界大百科事典(旧版)内の天目山の言及

【天目山の戦】より

…1582年(天正10)3月11日,甲斐の戦国大名武田氏が滅亡した合戦。織田信長・徳川家康の連合軍に攻められて窮地に陥った武田勝頼は,郡内領主小山田信茂の誘いに応じて,3月3日築城したばかりの新府城(韮崎市)に火を放って郡内岩殿城(現,大月市内)に向かったが,9日には裏切った信茂に鉄砲を撃ちかけられ行く手をはばまれたので,やむなく先祖の武田信満が上杉禅秀の乱で戦死した天目山(東山梨郡大和村)を死地に定め,日川の谷を上った。新府をたったときには700名以上いた武士も次々に去り,わずか四十数名になった。…

※「天目山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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